勝手な妄想など

種の起源』第二冊目に入ってからあまり進まない。難しいのだ。理由はいろいろあるだろうが、要はボクの知識が追い付かないということに尽きる。

それで、『人間の由来』のほうを読み進めている。

第一部が、人間の由来または起源

第二部が、性淘汰

その最初が、第八章 性淘汰の諸原理  いまここ

 

今の時代、恐ろしい勢いで研究が進んでいろんなことが解明されてきているのだろうが、その内容をボクは知らないから、この本を読んでいて妄想したことの一端(笑うべき稚拙なことかもしれない)を書いてみる。

 

変化していくには大きく、自然淘汰と性淘汰とがある。

男と女の明らかな違いは、性淘汰が絡んでいるとみられる。その淘汰圧は、男らしさの追求と、女の眼鏡に叶う方向で働いてきた。人間の場合は、女らしさと男に好かれる方向も過去にあったかもしれないが、それは男に反応した動きだったろう。(元々変異してきたのは男の方らしいので、男のほうが性淘汰の主役だろう。)

男同士いくら張り合っても、女から見向きもされないのでは、目的の半分しか実現しない。張り合って、同時に女にも注目される、ことが大事になる。(昔は男の中で序列を上げるだけでよかったのかもしれないが、時代が下るにしたがって、女に好かれなければならなくなってきて・・・今は女が男を選ぶ時代になってきている)

 

いろいろあるが、目に近く目立つ場所の “ヒゲ” がまず気になる。

日本ではあまり見かけないのだが、外国では、ひげを生やす人が多いように思う。これは、東洋人はどちらかというと髭が薄い、ということが関係しているのかもしれないが、明治時代の写真などを見ると、外国人と交際する階層の人たちは、日本人でも髭を生やしている方が多いように見受ける。これは競争意識のさせること(高い帽子をかぶるのもそうだろう)のようだが、歴史的には、性淘汰関連が第一なのではないのかな

 

ボクはひよわな男だから、ヒゲは見てむさくるしいように感じるだけだが、女から見ると、アピールするところがあるのかもしれない(なにしろ女にはないものだから)。

あるいは女にはそう見えるはずだという男の確信のようなものがあるのか。

女にはなくて男にはあるものが、性淘汰圧のなせる業だとすればそういうことになりそうだ。

これは男が勝手にそう思っているだけで、おんなにちっともアピールしないのだったら、やがてヒゲは薄くなっていくはず・・・そういう方向で、東洋ではヒゲが薄くなってきたのであろうか???

 

それとも、島国というのは、中性化に向かうものなのか???

 

ダーウィンは、必ずしも優劣だけではなく、中立的な変異も多いと感じていたようなので、ヒゲなどは、その起源は性淘汰とは何の関係もないと見ていたのかもしれない。

でも、顔の真ん中にあるのだから・・・・

 

・・・・・・・・・

 

今朝早く・・・6時過ぎ・・・寝床でウグイスの声を聴いた。

まだ舌足らずではあるが、たぶんウグイスにちがいない、と。

声の音色というか高さというか。

ああ。もうここまで来たのか