『オスとは何で・・・』 (18日添削しました)

読み終わりました。ちょっと難しいところもあり、全部理解したとはいえませんが。

 

言葉というのは、切り口のようなもので、切断したところから、二つになる。男と女が対になる。違いが鮮明にされる・・・一般的にはそう思うが、男と女の場合は、その切り口は恣意的ではなく、自明だと思っていた・・・

「性スペクトラム」というのは、性というのも連続的に変化しているという見方かな。単なる見方ではなく、事実という事か。

 

「ことば」には、典型から外れれば、誤差と見るようなところがある。だから、分類に迷うような境界近くのモノも、一度分類されると、白か黒か、どちらかということになる。・・・灰色はどちらかに入れられる。

混沌に目鼻を付ける、には、どうしても必要な・・・付き物だろう。

 

それはまあ、どうしても必要なことではあるが、個々から見れば「ことば」は本質的ではなく、いわば外側から着せられた服のようなもので、個々の立場からは、違和感をおぼえることも多い・・・

 

個々に密着してモノを見ていく。それが単なる意見ではなく、実証できる。そういうことを可能にする道具がいろいろ開発・発展してきて、かなりのところまで、分かってきた。ただ、性自認のような、脳が深く絡んできているところは、動物実験が出来ない(動物から聞き取れない)ので、まだまだ暗中模索のようだ。

 

性淘汰関連では、竹内久美子さん(『オスとは何で・・・』の著者 諸橋憲一郎さんとは同年代です)の本が、当時(90年代だったかな)、軽くて面白かった。今回、諸橋さんの本を読んでいて、男性度100%近くの人と70%ぐらいの人との戦略の違いとかが想像されて、随分昔に読んだのですが、今回彼女のことを思い出しました。

 

 

・・・淘汰が起こるためには、”競争”が前提されるわけですが、これからの時代、その競争が緩んでくるとすれば、どういうことになってゆくのでしょうか。もう始まっているようにも感じます。結婚願望が激減してきているというのだから。

 

ま。ダーウィンに戻ります。

 

追記 随分前(2020 5月)に、『胸がキュンキュンする』なる記事を書いていました。自分でも忘れていましたが・・・