『パンダの親指』

読みました。ちょっと時間が掛かりましたので、どんな話だったか、ほとんど忘れてしまいましたが。

 

その時々の、時代的偏見抜きに科学を語ることは出来ないのではないか、というようなグールドの考え方が印象的でした。

たしか、『ダーウィン以来』で;マルサスの『人口の原理』の影響というのはダーウィンによって公言されているのだが、それよりも、公言されてはいない、アダムスミスの「経済法則」私利の追求が正しいという時代精神が、自然淘汰という考えには大きな影響力を持っていたのではないか、というようなことが書かれてあったと思う。

 

【文化的偏見というものを理解して初めてわれわれは科学というものを、そのたもろもろの創造性の現れとまったく同じように親しみ深い人間活動として見ることが出来るようになる。上巻p12】

 

【本書のほかの章でもくり返し述べていることだが、私は、科学とは真理に導かれる客観的な機械なのではなく、熱意や願望や、文化に縛られた偏見などに影響される、人間活動の典型なのだという見方を主張している。下巻p78】

 

【科学とは常に、その時代ごとに行きわたっている文化と、個人的偏狭さと、経験からくる制約との相互作用なのだ。下巻104】

 

面白い話は沢山あったが、一つ選ぶとすれば、上巻第十章 ピルトダウン再訪 であろうか。

1910年代に、発掘された骨から、ピルトダウン人というのが捏造された。それが学会に認められ、

1953年になってはじめて、それが捏造であるということがあばかれた。

いったい誰が何のために捏造したのか、それを推理しているのだが・・・

 

若い研究者が、ふざけて創り出した話が、本気にされて、引っ込みがつかなくなってしまって・・あばかれた時には、みな大御所になっていて・・・墓場まで持って行くことになった・・・というような感じかな。

いかにも、新進気鋭の怖いもの知らずの研究者のやりそうな悪戯ではないか。

 

しかし、こういう捏造が学会のお墨付きを得て、50年近くもまかり通っていたという事には、人間の深い業、限りない傲慢さが透けて見えて、考えさせられます。