読書中の本など

まだ『種の起原』も『人間の由来』も、『パンダの親指』も、途中なのだが

同時に『神と科学は共存できるか?』を読み始めた。

 

これは、グールドの最後の頃(1999年出版)本のようである。グールドはアスベスト粉塵による中皮腫で60歳(2002年5月)で亡くなっている。

 

この本自体は、”神”といわれても、面倒くさい話になりそうなので、図書館で何度か目にしていたのではあるが、手に取って見たことはなかった。その本を、今回がおそらくグールドを読む最後になるだろうと思い、手に入れた。

 

図書館から借りてもいいのだが、図書館が道が狭く行きにくい(昔から此処に住んでいる人には狭いとは思われないのかも知れない)ところ(其処自体はいいところなのだが)にあり、読み終えるまで時間が掛かりそうでもあり、何度か足を運ぶことを考えると、億劫になり(此処に越してきてからもう一年半になるが3度ほどしか行ったことがない)、手に入れることにしたのである。

 

まだ読み始めたばかりなので、何も言えないところだが、ボクの実感(ボクは長い間お寺の住職をしてきました)では、宗教問題は難しい(どんな問題でも易しいものはないだろうとは思うが)ので出来れば、近づきたくない。

しかし、進化論を扱うからには、避けては通れない。そこで、どちらの側にも就かない(ドーキンスなどは完全に科学の側に就いたのだが)、それに近づく方法が、模索されているのだろうと思うのである。

 

基本的には、日本人にはあまり関係がなさそうな話だが、こういう狭くなった世界では、そうも言っていられないだろう。

 

自分がやらなければならない仕事を持っていて、持ち時間が限られている立場なら、スルーすべきこととは思うが、

ボクは、ほとんど宗教とは無縁の一般家庭(仏壇もなかったしお寺とも無縁だった。ある意味宗教には無菌状態であった)から、周囲の反対を無視して、宗教の世界に入った。・・・ヒマ人なので、避ける理由がない。

 

グールドはアメリカ人、ドーキンスは確かイギリス人である。宗教に対する立ち位置の違いは、そういうことも関係しているとは思うが、そういうことだけではなく、

考えるに値する問題だと思うのである。心配は、ボクのような想像力の乏しいものに、問題そのものを何処まで理解できるか。である。

 

別の色のボタンが咲き始めた