報道1930 8月11日

【侵攻なければ人類文明の終り プーチン氏のバイブル(愛読書)戦争論”からの脱却は 】

 

今朝YouTubeで見た。

 

国を超える、善悪の価値判断をする機関がない世界では、どうしても、政治の延長に戦争は出てくる・・・

アメリカとソ連、或いはアメリカ一国が、覇権を握っていた世界では、勝手なことは出来なかっただろうが、(覇権国の権威が失われつつあって)それに異を唱える国が出てきた、ということかもしれない。

それは、ある意味で、クラウゼヴィッツの生きていた世界(弱肉強食の世界)と似ているのだろう。

 

それではいけない、とは思うが、国を超える機関は全て機能しなかった。これからも想像される近未来では、機能しないのではないか。

なんか人間という生き物を考える時、そういう気がする。正があれば、かならず、反が出てくる。個人の権利が保障されると同時に、多数決で否定されもする・・・

 

多極化する世界の中で、いかに衝突を回避していくか・・・

 

戦争という場合、攻めることを考えがちだが(それが抵抗感があるところなのだろう)、今の日本では、問題なのは、攻められた時にどうするかということと、攻められないようにするにはどうしたらいいか、というようなことが中心であろう。ハッキリ アメリカは頼りにならない。頼りにならなくなったから、われわれは、こういう現実に居るのである。

 

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沢山の外国人が日本に来て、いちばん印象的なのは、安全だということであろう。最近は必ずしもそうではないというニュースを見る機会が増えているが、まだまだ、日本は特別な国なのではないかと思う。・・・

それでも、自分の身は自分で守る用心をする。簡単な護身術ぐらいは習っておいた方がいい世界になりつつあるような・・・

 

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ペルー・リマの動物園で