伊藤貫さんの議論をすべて理解したわけではないが、賛同するところは多い。
ただ、「核武装しなければ、中国の属国になる」という脅しについては、
日本は今も「アメリカの属国」なわけだから、「それは大変だ」と思うよりも、今と大した違いはない(立場は良くはならないだろうが)、ように思う。
問題は、自分の国の現在、未来について、人任せというか、他の命令に服従するばかりで、自分たちで議論し決定することが出来ない、という事である。
国家を超える機関が存在し、機能しているならともかく、機能しないなら、意思決定機関としては、国家が最終的な機関であろう。
いままでは、アメリカに疑似的にそういう力があると思い込んでいたにしても、もうその力がないらしいことは明白である。
至る所で紛争の種をまき散らし、収拾する力を持たないことを示し続けている。
間もなく、アメリカが東アジアを安定させる力を失う。すると、中国・ロシア・北朝鮮という核保有国に囲まれた日本は、中国の核の恫喝に直面する(ウクライナがロシアの恫喝に合い、Natoの腰が引けているように。おそらく事態はもっと悪い)。台湾有事にはそうなる。そのとき、ただ屈するのか。
noというには、核の脅しに対抗できる力(武力)を持つことが必要である。今、アメリカの傘があり、守られているという。しかし、今と中国・アメリカの立場が逆転した時に、日本を守るために、アメリカは何かしてくれるだろうか
伊藤さんは、アメリカの核の傘は役に立たない。アメリカは日本のためにアメリカ(自分の国)を危険にさらすことはあり得ない。この世に国家を超えた力は存在しないのである。核合意を破っても、責任はない(責任を問うものはいない)。という。
冷静に考えれば、その通りだとボクも思う。今でもアメリカの戦争犯罪を裁くものはいないのだから、これからも居ないだろう。
岸田さんは、それでもアメリカに、あくまでも黙ってついてゆくつもりらしいが、
国家の責任者として、それは無責任ではないのか。核の傘はない、役に立たない。リップサービスにすぎない。そういうことを隠して国を危険にさらす。明らかに売国奴ではないか
今は真剣に核武装を議論すべき時ではないのか。自分の意思決定をすべきではないのか
みずからnoという力を持つべきではないのか。独立国らしいことをすべきではないのか
少子化の問題も、個を超えた意義を見失っていることと関連しているのではないか
問題は単純なのだ、が、ね。