前回の続き

日本語は生き残れるのか、という話をしていたのだが・・・

 

小学生の頃から英語を学ぶのが義務になっている。

セサミストリートではさらに低年齢に英語を教えようとしている

なかなか厳しいだろうねえ。

近頃では、カタカナ語(外来語)を日本語に翻訳しないで、そのまま通用されるようになってきている・・・

 

重要な場面での共通言語が英語ということになると、日本語は第二言語という位置に立つことになり、急速に、衰えてゆくだろう。衰えるというのは、歴史的言語になってしまう、あたらしく語彙が生み出されず、展開しない言語になってしまうという事だが。

 

一時、パソコンの初期に、漢字制限がきつかった時があった。

ボクは、ある日突然郵便貯金が下ろせなくなって慌てたことがあった。その理由が分からないまま、昨日までの窓口(顔見知りに)で、拒絶される。その理由は教えてもらえない。余りに非道な対応なので、窓口で”おまえら泥棒か”と大騒ぎをしたことがある。(ボクはあまり大声をあげる人間ではないつもりだったが、必要があってお金を下そうとしていて、それが拒絶されて、理由が分からない。突然カフカの世界に迷い込んだようで、無性に腹が立った。)

あの時は、局長が出てきて(彼も顔見知りである)、かれが苦情はどこどこに言ってくれ、ということで、そこ(東京の何処かだった)に電話を掛けることになった。

その電話で分かったことは、ぼくはまだ結婚していなかったので戸籍の戸主は父親になっていた。その父親が、役所の都合で、名字の綴りを変えることに同意をしてしまっていたのであった。(そのことでは相当前のことだが、父親が名字の綴りのことで何か言ってきたことがあるので、いいよ、と答えた曖昧な記憶があった。あれが原因か)

それで、今度は父親に電話をして、父親から新しい綴りを教えてもらって、やっと、貯金が下ろせた。

(郵便局は全く不親切である。局の外でも雑談する間柄だったのに、この扱いである。ボクが銀行に口座を開くようになったのはこれが切っ掛け)

(このことに関しては、ボクがテレビを見ないので、分からなかったということもあるのかも知れない)

 

それはそれとして。こうして一時大きく制限された漢字だが、いまではパソコンの能力が飛躍的に高くなり、旧漢字まで復活してきている。

それを思う時、日本語が滅びることはないかもしれないとは思う。しか造語の力を力を失っては、生きた日本語とは言えないかもしれない。・・・・・・

生きた言語としては、間もなく滅びるのかも・・・そういう時に、彼女だけでなく、一所懸命日本語を学んでいる世界中の若者のことを思うと、ちょっと複雑である。

 

日本語が滅びないためには、日本人としての誇りと自覚のようなモノが不可欠だと思うのだが・・・それが消えつつあるように思うのである。

 

多くの人に日本語を使わせ、日本語の人口を増やすぞ、とは考えない。

私が年を取って気が弱くなっているだけならいいのだが。