蠟梅が咲き始めて10日になるのだが 17追加

 相変わらず、咲く傍から小鳥に食べられてしまう。

今年は、こういう歳なのかもしれませんね。

朝方、一輪きれいに咲いたので、適当な時間帯に(太陽が中天を過ぎてから)撮ろうと考えていたら、食べられてしまっていました。残念。

明日はなくなっているだろう、咲き始めの一輪を、写真に撮った。

今日は、昼過ぎに雪が舞う、寒い日でした。

 

一昨日の朝は、星がきれいに見えた(ここんところ、毎日星はよく見える)。外の水道が、2時ごろには凍り始め、使えるようになったのは9時頃であった。昨日は、用心して発泡スチロールの覆いをかけた。これで凍るようなら、もう少し本格的に保護しなければならないと思ったが、応急的なこれで大丈夫のようで、ホッとした。零下5度ぐらいだったかな。此処はこれからもう少し下がるように思うので、明日にでも、本格的な養生をしておくのがいいように思う。

2時か3時に、顔を洗いに外に出るのだが、本格的な覆いをしてしまうと、いちいち外すのは面倒になる。起きるのを遅くしようか。

 

真夜中、寒い中、外に出て、星を見上げるのも、いいものだが・・・朝まで寝ているのも、寝床の中もすこし寒いのだが、いいかもしれない。

 

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ローマ帝国衰亡史』第21章の中頃。ユリアヌスに紙数を割いているというよりは、キリスト教が皇帝によって保護されるようになると、勢力を増したキリスト教内部の抗争が激しくなり、異端が排除される。その異端というのは、信徒数で負けている、あるいは、指導者が皇帝の覚えが良くない、などの理由で、異端になってしまうことも多かったようである。一度はっきり正統派が決められて以降はともかく、まだどれが正当か、流動的だった時には、そういうこともあったようである。

 

ここで、《神はサイコロを振らない》という言葉を思い出す。「この場合、サイコロを振ったんじゃないの?」

大事な場面で、なぜ、そういうことになったのか、どうしても「魔が差した」としか思えないことがある。・・・魔が差したのではなく、神がサイコロを振った、のではないか。

微妙な揺らぎの場面で、どちらかに動かざるを得ない。動いてしまえば、後は分かりやすいのだが・・・。サイコロを振った、としかいいようがないような。それは、神なのか魔なのか。