『ローマ帝国衰亡史』 2

これから、いよいよローマ帝国の衰亡が目に見える形で始まるところに差し掛かっている。

 

世界の歴史の中で、最も幸せであったと思われる時期を、西欧に生まれた人に問えば、それはローマの五賢帝時代ではないか、という答えが返ってくるらしいが

その五賢帝の最後がマルクス・アウレリウス  ローマ皇帝であると同時に

『自省録』の著者でもある。

 

とても立派な人であるのだが・・・その奥さんは、淫乱・放縦で、スキャンダラスな人であったらしい。しかし、亭主はそれを全く知らず、何人もいたその不倫相手を高位高官にし、なお、奥さんの死後、元老院を動かして、女神として祭ったという。

また、その息子というのが、後を継いで皇帝になるのだが、どうやら暗庸であったらしく、悪友にそそのかされて・・・死後、暴虐帝という名をもらっている。

 

いまその辺を読み進んでいるのだが、立ち止まって、なかなか進まない。

これからいよいよ「衰亡史」の本論に入るところだと思うのだが。

 

マルクス・アウレリウスは、そういうことを知らないで、幸せだったのかな???

 

・・・知らないでよかったな、と思うと同時に、ボクたちは誰も程度の差はあれ、似たようなことなのではないか と、思う。

どこまでも知ろうとしても、限界がある。必要なことだけでも知れれば、それでいいのではないか。

かれは、皇帝として、五賢帝に数えられるほどの仕事をしたのである。

 

彼は彼の人生を生きた。奥さんは奥さんの人生を生きた。息子は息子の人生を生きた。

 

彼は、2000年も読み継がれるような本を残した。

奥さんは、まあ、悪名を残した。何不自由ない境涯でほったらかしにされていたのであろうけれど。

息子もまた。あの父にしてこの子か、という、教育の効果というのを疑わせるような生き方を示した。

平和というのも、しばらく続くと、反転する原因が生まれるのであろうか 

人は平和を求めるのだが、平和には堪えられないのかも

 

中国の歴史にも、似たような話は山ほどある。

 

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