『危険な思想家』 

まあ。「人権」という言葉は、水戸黄門の印籠のように、働く。確かに。

何か言おうとすると、周りは慌てて、止めに入る。やめておいてくれ!

 

確かに。下手に反論すると、おかしなことを言ってしまい、墓穴を掘るかもしれない。論争に慣れていない場合は、黙っているのが賢明である。

 

この、呉智英さんは、なかなか勇ましい。

 

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第一章 オウムの托卵 という章では、宗教が論じられているのだが・・・ボクはあの時、アエラに確か「宗教は、(この世界とかではない)自分の問題を突き詰める。そして、問題が解決されたときには、(なつかしい)この世界に戻ってくる。この世界に戻ってこない解決はない。ポアする(行きっぱなし)などは論外だ。」というようなことを書いた。

これが正しいとかということではない。正しさは人の数だけあってもいい。自分が自分の人生を生きているのだから。・・・懐かしく思い出す。

「論」を云々する立場からは、こういうのは「論外」なのであろうが。修行者としては、一言いいたかったのであった。(修行者というだけで、否定されかねない雰囲気だった)

 

第二章 人権真理教の思考支配に抗して

初めのほうに、住井すゑさんのことが書かれてある。

ボクは、お坊さんになって修行を始めたのは、神戸であった。そこで初めて、部落差別のことを聞き、住井さんの「橋のない川」を読むことをすすめられた。衝撃でしたね。

関東育ちだと、(日本に)部落差別の問題があるとは、45年前は、知らないのが普通だった。

住井さんは、当時茨城県の牛久に住んでいると知り、驚いた。そんなに近くに住んでいたのかと。

そういうことがあるので、その住井さんが、戦後50年の1995年になって、戦争を賛美する文章を書いていたことが暴露された、という話を読んで、驚いた。

勝手に、反戦・反差別作家と思っていたからである。

そもそも、戦前・戦中に体制翼賛の文章を公にしていて、戦後50年まで、知られないはずはない。

みんな知っていたが、忖度されて隠されていた、ということに違いない。

それが戦後50年ごろから、明るみに出されるようになってきた・・・

 

他にも書くべきことはあるのだが、まあ。これで、読んだことにします。