金谷治訳注『老子』

【つまさきで背のびをして立つものは、長くは立てない。大股で足をひろげて歩くものは、遠くまでは行けない。自分で自分の才能を見せびらかそうとするものは、かえってその才能が認められず、自分で自分の行動を正しいとするものは、かえってその正しさがあらわれない。自分のしたことを鼻にかけて自慢するものは、何ごとも成功せず、自分の才能を誇って尊大にかまえるものは、長つづきはしない。】

 

【曲がりくねった樹のように役たたずでおれば、身を全うできる。尺とり虫のように身をかがめておれば、まっすぐにのびられる。窪地のようにへこんでおれば、いっぱいにたまってくる。古着のようにぼろぼろでおれば、新しくなれる。】

 

これは、金谷治訳注『老子』(講談社学術文庫)の

81㌻から83㌻の一部分の引用である。

 

ボクは老子は苦手だったのだが、この金谷さんの訳を読んでいて、好きになってきた。

 

普通の中国古典訳は、最初に漢文の白文、次に読み下し文、その次が注釈、最後が現代語訳、という順序が一般的なのだが、

この本は、最初に、現代語訳、続いて読み下し文、その次に漢文の白文、韻を踏んでいるところには印が付いている。最後が注釈、となっている。

 

最初は戸惑ったが、慣れてみると、これはこれでアリという気がする。

最初に漢文が来ると、頭の中で、枠が嵌められる。そこから、読みだす。

ところが、最初に漢字の少ない現代語の訳文が来ると、その枠が、ほとんど感じられない。

かなりすなおに読める。

 

とくに、知れ渡っている有名な熟語に最初に目が行って、それに縛られてしまう、という事が避けられる、ような気がする。

 

面白い。順序が逆になっただけなのだが、この工夫は凄い。

 

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啓蟄をすぎ、雨もよく降る。毎朝みている水仙とか牡丹の新芽のふくらみとか、ぐんぐん大きくなるのが驚きである。散歩道の葉を落とした木々も、毎日色づいてきている。

この時期は、景色が変化し、散歩がとくに楽しいね。

(杖は、用心のために持って歩いてはいるが、ほとんど使わない)