『ヴィティコー』 2

第二巻の中ほどまで読み進みました。全体のちょうど中間点ぐらいのところです。いくつかの事が分かってきました。

 

神様の力が弱まって、人間が中心になってくると、正義とか善とかよりも、欲望のほうが価値が出てくる。欲望実現の手段も当然ながら価値があるものになってくる。

・・・神様に力があれば、人間は正義や善などと湧き起こる欲望の葛藤に苦しむことになる。葛藤そのものに価値があるというより、葛藤を克服し、善や正義の実現のために歩き出し、具体的な場でその実現に努力することにこそ価値がある。

しかし、正義や善が心の生み出した妄想に過ぎないということになれば、そういう余分なものを考えないでよくなる。ひたすら欲望を満たすことに邁進することになり、そこに生まれる苦しみは、競争における勝った負けたの、あるいは騙しあいの苦しみのような、単純なものが多くなるのかもしれない。

 

むき出しの欲望が大手を振って歴史の大通りを闊歩し始めたのが、19世紀なのだろう。

『ヴィティコー』は、12世紀のチェコオーストリアの国境地帯の森の中が主舞台だが、テーマは「何のために生きるか」である。(ようにみえる)

もう19世紀以降は、むきだしの欲望の時代で、そこに物語を展開しても夢物語に過ぎないということが、『晩夏』を書いてハッキリしたのかもしれない。

 

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今日は暑かったですね。13時ごろ、いつものように散歩をしたのですが、途中でかなり濃い味をつけたドリンクに何度も口をつけました。(いつものところでグランドゴルフを楽しんでいる人たちもいました)

川の中で水と戯れているコイがちょっと羨ましかった。

 

 

 

 

 

『ヴィティコー』

シュティフター最晩年の作品。騎士ヴィティコーを中心に、話は展開する。登場人物は600人余りとか・・・

 

ドイツ語圏以外では、この邦訳が初めての翻訳本であるという。シュティフターがマイナーな作家であるということなのだろうが・・・日本ではシュティフターが読まれているということでもあろう。全三冊。決して安い本ではない、専門書並みの値段である。それでも、私のように読みたがる人が居るということであろう。

 

寝転がって読むには文庫本が一番なのだが、これは文庫の2倍サイズの、350pあまりのハードカバー本。重くて扱いにくく・・・読みにくいので後回しにしていたが・・・・読み始めると止まらない。昨日は11時過ぎまで読んでしまった(いつもは9時半ごろ寝るのだが)

 

ま。私は楽観的な方で、その時が最適、あるいは唯一のチャンスと考えているのだが、面白い本に出合えた、と喜んでいる。もうすこし遅かったら、とてもこのカタカナの地名・人名にはついて行けなかった。また、もう少し若かったら、この緩やかな足取りの展開には焦れてしまったろう・・・

 

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イナゴが減り、バッタが増えてきたようだ。クマゼミの鳴き声が増えてきている。

散歩がずいぶん楽になってきた。手製のドリンクを持たないでもいいぐらいに。

 

 

 

 

ブログ1年になります・・・

去年の今頃の事を思い出しています。といっても、あまり多くは思い出せない。

・・・寂しいですね。たった1年前の事ですのに。

 

去年は7月ごろに、アキレス腱を傷めてしまった。10月下旬ごろに外国旅行(一人旅)を計画していて、身体作りのつもりで、散歩もすこし早歩きをしていたのだが、その途中で歩けなくなってしまった。すぐに医者に行けばよかったのだが、医者嫌いでグズグズしているうちに、時期を失してしまい、歩けなくなり、プールで歩くことにしたのだが・・・旅行は断念。

そうこうしているうちに、腹痛を起こした。8月13日夕方だった。尋常な痛みではない。夕方6時ごろから真夜中過ぎまで続いても収まらない。場所は鳩尾辺りだったかな。

3時過ぎに近くの救急病院に電話したら、胸の痛みでは、うちでは対応できないので救急車を呼びなさいということであった。

それで初めて救急車に乗ることになった・・・きつい痛みは5時過ぎに収まり、帰ってきた。

しかし、胸のあたりの気持ち悪さは続き、その日、近所の医者に診てもらった。そこで胃潰瘍の薬を貰ったのであった。

(去年は救急車をもう一回呼ぶことになった。それは11月初めだったが、その時にはCTをとって、急性胆嚢炎ということがわかり手術をしたのだが、多分この夏の痛みもそれであったと思う、ただ、このときは、胃の痛みと重なっていて、胆嚢の結石は救急車に乗ったり降りたり動き回っている間に移動して痛みがなくなったのではないかと思う)

 

そうそう、去年は50肩も重なっていたのであった。

・・・・それで、このころ、もう先は長くはないな、と覚悟したことを覚えている。

 

あれから1年・・・今は・・・何とかラジオ体操も出来るようになってきた(まだ右腕はあまり上がらないし痛みもあるが)。アキレス腱も、無理しなければ違和感が起こらないようになってきた。腹痛もない。

・・・すぐにどうこうということはなさそうだな、と思い始めている。現金なものである。

 

2、3日前、Sさんがやってきた。どうも調子が悪いらしい・・・85歳である。お薬師さんにお供えせにゃ、と言いたかったが、止めた。そういうことは言われてやることではなさそうだから。言われるのは誰もあまりいい気はしない。

9じすぎに帰ったから、医者に出る途中で寄ったのかもしれない。

 

調子の波があり、よくなったり、悪くなったり・・・そこに何かが重なってくると(何かとは相当のストレスとなること)体力などが1クラス落ちるということになるのだろう。

 

・・・良くなったり悪くなったりしているが、調子が良い時には、引退するのは少し早すぎたかな、などと思うことがある。そのたびに、そんなことはない。あれで丁度よかったのだ、と自分に言いきかせている。

この間など、ゴミ出しを忘れないために、アラームをセットしておいた。アラームが鳴りだした丁度その時に、その少し前に電話する予定でいたことを忘れてしまっていたことを思い出し、電話をした。・・・そしたら、用が済んだつもりになったのだろう、ゴミ出しを忘れてしまったのである。

ま。こんな調子では、補佐してくれる人がなければ、大きなポカをしかねない。止めてよかったのである。・・・・今は、読みさしの本を忘れて次の本を読みだしてしまうようなことがよくあるのだが・・・誰にも迷惑はかけていない。

 

 

イナゴが

日本でも大発生しつつあるのかな

散歩中、目の前に、イナゴが飛び出すことが多い。

たしかに、稲穂が一部黄色の色づき始め、そういう時期ではあるが、それにしても

いままでもこんなにイナゴが多かったかな。わたしのみているのは、勿論あの外国でニュースになっていた移動型に変身したイナゴではなく、ふつうのイナゴなのだが。

・・・過去にはこの時期、イナゴではなくバッタを見ていたという記憶があるのだ。もちろん、記憶はあいまいなものだが・・・

 

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『スズメの謎』(誠文堂新光社)という、小学生から読めそうな本がある。これがなかなか面白い。もくじは:

1、スズメを知っていますか

2、スズメは日本に何羽いる?

3、スズメの減少

4、なぜスズメは減少しているのか

5、スズメが減少するとどんな問題があるのか

6、研究の世界

というものである。

大人の読書にも十分耐えられる内容だとボクは思います。

そういえば、この間の生まれたばかりのスズメは、何羽が行動を共にしていたのか・・・少なくとも4、5羽いたような記憶があるのだが・・・

今は田んぼの方に移動してしまっているのかな

 

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トンビを見かけないようになった。カラスも。

ツバメが水を飲んでいる姿はよく見かけるのだが・・・

暑すぎて何処かで涼んでいるのだろうか

 

 

 

 

あんまり暑いので

疲れてしまい、本ではなく、ついビデオを見てしまう

 

若い時に横溝正史さんの本をたくさん読んだことがあるので、石坂浩二主演の金田一耕助シリーズを何作か見た。概して面白かった。

・・・だいたい犯人に自殺されてしまい。逮捕出来ない。主役が、探偵であり刑事ではないからかもしれないが・・・

刑事が主役のドラマだと、刑事の仕事というのは、犯人逮捕というより、復讐防止が仕事のような感じである。悪い奴は逮捕できないで、復讐しようとする奴が逮捕される・・・(悪い奴の方が賢いということかも)

あまり後味はよくない。

ま。国家権力というのはそういう不完全なものだと、テレビは言いたいのかもしれない。

 

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シュティフターを読んでいて、時の流れ、ということについて考えさせられる。

産業革命以降、時の流れというのは、私たちの外側にあって、私たちには如何ともしがたいものとなってしまったが、それ以前は、ずいぶん違っていたのではないかと。

・・・誰にも同じ時間が流れていたわけではなかった。単調な時間というものもなかったのではないか

・・・直線的な同質な時間というものは、時代が生み出した約束のようなものに過ぎないのではないか・・・

今は、よほど意識的に見ないと、どこまでも時に流されるようなことがあり得るが・・・

 

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今朝はずいぶん涼しかった。多分25℃以下だったのだろう。

生き返ったような感じであった。

お昼の散歩も、多分34℃か35℃ぐらいだったのだろうが、慣れてしまって苦にならない、ような感じであった。これはセミの声・虫の声そのた、空気の様子などが、もう10日前とは全然違ってきているから、に違いない。(そうはいっても午後になるとそうとう疲れてしまうけれども)

 

朝の坐禅は、以前(1か月前)に戻してもいいような・・・

『花崗岩』

『石さまざま』の初めにある話です。

なかなかいい話で、私は好きですね。・・・ただ、ヒトによっては、ながながと続く昔ばなしの語り口がまだるっこしいかもしれません。

 

お母さんに叱られて落ち込んでいる孫を慰める話です。

おじいさんが、一緒に歩きながらその地のむかし話をはなし続け、夜に至って、きつく叱った母親が寝てしまった頃になって家に帰る。母親の顔を見ないで寝床に入る・・・こころに傷を負った少年が、立ち直るのは、このぐらいの時間はかかるだろうなあ、と。・・・実にやさしいおじいさんです。

 

このやさしさを、ペストでヒトが死に絶える昔のはなしをすることで、かなりショックな辛いことを思い出さないようにさせる中に、示す。

ふだんから、こういう形で、いろんなことを教え、伝えてきたのだろうなあ。

 

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余りの暑さでだろうと思うが、温泉が湯船から溢れ、手も入れられないほどの高温の湯が流れ続け・・・ヒトが入れないようになってしまった。

よる、放送されたところでは、コンピューターで制御されているのだがそれが調子が悪くなった、しかし、お盆休みで業者がつかまらず修理はもう少し先になると。

ま、パソコンでも60℃以上になるところに置かないように、と書かれているくらいだから・・・機械室が過熱してしまった可能性は大きい。

 

機械が過熱するようなこの高温の中でも、グランドゴルフのおじさんおばさんは頑張っていた。脱帽です。

 

 

 

『鳥脳力』小さな脳に秘められた驚異の能力 など

第一章 鳥・・・絶滅しなかった恐竜

つまりは、恐竜は絶滅しなかったのである。なぜならば うんぬん

 

こんな書き出しの本である。面白そうなので借りてきた。まだ読み始めたばかりだが、全部を理解するのは無理のようだ。聞きなれない言葉が多い。だが、大体のところを知ればいいと思っているので、まあ、投げ出さないで行けそうである。

 

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シュティフター生誕200年ということで、2005年ごろからいろんな本が出ているようだ。図書館の図書検索で分かったので、数冊借りてきた。『石さまざま』『ヴィティコー』など。

『石さまざま』は、岩波文庫で昔読んだが、30年近く前の事なので、わずかな印象が残っているだけなので、読み直してみようと思い借りてきた。今回は松籟社のハードカバー本である。

 

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昼頃の気温は35℃ぐらいあるが、湿度が低くなっているのだろう。呼吸は楽である、歩きやすい。(昼頃散歩するのは、この時間は誰にも出会わないからである)

 

・・・つくつくぼうしが鳴き出しましたね。今年は短時間につぎつぎとセミがなきはじめています。

2、3日前には赤とんぼがたくさん飛んでいたが、今日は、探してもなかなか見つからないほど、少ない。トンボの寿命は知らないが、このあいだのものはもういないのだろうか。それともちりぢりになってしまったのか。

地獄の釜の蓋が開くと言われるこの時期ですが、散歩していて感じるのは、もう秋の気配ですね

そういえば、朝などにずいぶん日が短くなったのを感じます