『日本人とは何か』

第一部 1章 日本人とは何か

    2章 文字の創造

    3章 律令制の成立

    4章 神話と伝説の世界

    5章 仏教の伝来 ・・・・いまここです

 

以前から「ことば」に興味がありますので、第2章は面白く読みました。

ボクはどちらかと言うと、漢字を音読したり訓読したり、沢山の同音異義語を使いこなしたり、そちらを面白く思うことが多かったのですが、今回、”かな”文字にあらためて注目しました。

梅棹忠夫さんなど、漢字を極端に少なくして、かな中心の文章を書く人にあらためて注目です。

江戸時代の読み本というのは、かな文字中心で、多くの人に読まれたとか、戦前までは漢字には大体フリガナが振ってあったとか、

いろいろ思い出します。

 

ボク自身は、漢字を見た時、一瞬で大体の意味が分かった気になれる。ひらがなだけでは、2,3回読み直さないと意味が分かりにくい(どこにどういう漢字を当てればいいのか分かるとはじめて意味が通じる)ので、かなの値打ちに気づいていなかったようなところがある。

 

かなの発明が、日本の存在である。これがなければ、日本は存在しなかった。

という意味の事が書かれてある。

”そうなのか”  目からウロコである。

 

・・・・・・・

 

ふと気づけば今年ももう10日余りである。

 

 

 

山本七平さんの本

彼の本は昔、随分読んだ。

彼は、1991年に、ガンに苦しんで亡くなった。そのころは、まだ十分なモルヒネ投与が許されてなく、七転八倒の苦しみであったと、雑誌で読んだ。・・・

・・・そのころまでに、いろいろ。目に付くものは殆ど。

しかし、亡くなった後は、いつとはなしに、読まなくなっていた。

 

今回、久しぶりに、『比較文化論の試み』という90ページほどの薄い本を読んだ。

たまたま七平さんの名前を何処かで見かけたので、懐かしさから読んでみようとおもったのであった。

 

なかなか面白いので(彼の本はボクにとってそうとうクドイという印象を残していたのだが、この本はすこし舌足らずな感じであった)もう一冊読みたくなった。

それで、『日本人とは何か』という本を注文した。

これが、さきほど届いた。

 

(これは、古本ではなく、両方とも新本を購入した。)

 

比較文化論の試み』は第43刷。『日本人とは何か』は第10刷である。

 

まず。その厚さに驚いた。新書の大きさなのだが、約4センチ・・・一円玉が2センチだからその2倍・・・810ページである。

 

年内に読み終わるかどうか、楽しみである。

 

ボクは長い間、あまりくどいのは苦手であった。”禅”とか「荘子」とかが大好きだったので、あまり言葉を弄ぶと、踊り跳ねるような命を、殺して標本にするような、大切なものを失って気づかない所業のように感じていたのである。(本当のところは論理的思考が苦手であったということだろうが)

しかし、近頃は、ソレでは済まない、と感じている。

お坊さんが、黙っていても注目され、質問される立場であるならともかく、もうとっくに、そういう時代ではない。何も言わなければ、見放され、見捨てられてしまうだけだろう。最小限の言葉は・・・どうしても・・・

 

・・・・・・・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

心臓が・・・

夕方、どうにも穏やかでないので、オキシメーターを指に付けて見たところ、脈拍は80から90辺りで動いているし、波形は乱れっぱなし。

 

本当に、一年ぶりに、不整脈が出たようだ。

 

つらつら思うに、物忘れが激しいことの衝撃から、運転に対しても自信を喪失し、

緊張して心拍数が上がった。

しばらくして落ち着いたつもりであったのだが、緊張は続いていたのだろう。

 

その後も、一日中、慣れない手続きをしていたのだが、失敗しないように、緊張し続けていたものと思われる。

 

まあ。スイッチの押し忘れは、これほどの自信喪失であったのだろう。

 

昨夜は、起きていても何も手につかないので、早々に寝床に入った。5時半ごろであったか。

今朝も、出来るだけ寝床に居て、起きたのは5時半ごろ。

まる12時間寝ていて・・・今は落ち着いている。

 

今日は、車に乗るつもりでいたが、止めておこう。

 

・・・・・・・

 

若い時には、新しい技術を習得することはあっても、忘れることは余りない。だからそういうことは気に掛けない。

しかし、老年になると、昨日まで当たり前にできていたことが、今日は出来なくなっている、ということがある。

そうすると、何が出来、何が出来ないのか、不安になる。

度重なると、ほんとうに、動けなくなってしまいかねない。

 

今回も、出かける前に、何度もチェックし、軽自動車検査協会の事務所の中でも、何度も振り返り、

忘れたことはないか、忘れ物はしていないか、途中飛ばしてしまったことはないか、行動のいちいちを思い出し

決して時間を気にせずに、行動したのであった。

 

これで、へまをやったら、次は家から出られなくなってしまいかねないほど。

 

なんとか出来てホッとしたのであった。

そしたら、心臓に不調である・・・・

 

昨日できたことが明日できるかどうか。

明日も、楽々とした気持ちで散歩が出来るかどうか。

全く分からないのである。

気にし出したら、止めどがない。

気にならない振りをすると、心臓が反応する。

まあ、嘘は吐けない。ということか

(今回は、心臓がすぐに止まるというほどの違和感ではない

医者に行くことはいまのところ考えていない)

 

追記;丸一日たって、オキシメーターを付けたところ、脈拍は65、波形は揃っている。やれやれです。

 

 

 

 

住所変更

鳥取の市民税課から、「鳥取から転出した場合には、住所変更の手続きが必要です」とのハガキが届いた。

 

ナンバープレートはそのまま。鳥取に住んでいることにして、鳥取に税金を支払えばいい、と思っていたら、そうではないようだ。

この間(9月初旬)、車検の折には、そのままで問題ないということだったのだが・・・こういうハガキが届いてしまっては、従うしかない。

 

それで急いで、住所変更の手続きをすることにした。

 

鳥取からのはがきに、「軽自動車検査協会で、住所変更をしてください」とあったので

ネットで調べて見たら、

”窓口の対応は親切で、自分でできるよ”というコメントがあったので、思い切って出かけてみることにした。

 

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・・・・昨日までは、忘れっぽくなって、不安で自信喪失に陥りそうな感じにとらわれていたので、初めての道の運転はすこし緊張した。

・・・咄嗟の場合に反応できるかどうか、自信を失くしてしまっている。・・・

が、カーナビが案内してくれるので、徐々に落ち着いてきた。

 

・・・・・・・

 

確かに窓口の対応は親切で、申請書を書くのに少し手間取ったが、それでも、45分ぐらいで、新しいナンバープレートを受け取ることが出来た。

 

それから、鳥取の市民税課に電話して、自動車保険の窓口に電話して・・・

車検証のコピーを送って

 

さきほどすべて終了。やれやれ。

 

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人に頼んでやってもらえば1万円ほどかかるようだが、自分でやったので、ナンバープレート代1,550円也ですんだ。

 

ナンバープレートを取り外したり、新しいのを付けたり、そんなことも、長年車に乗っているが、初めてやった。

 

あんまり臆病になってしまっても、いけないかもしれない。

 

 

 

年賀状作成

小学生に戻ったような感じで、下絵。

 

消しゴムを使って彫り、はがきに摺った。

消しゴムを彫る、というのは、簡単そうで、難しいところもある。

とにかく柔らかいので、そうとう切れる刀でないと、細かい作業は出来ない。

 

ネットで刀を探していた折、1.5ミリ丸刀のところに「これはいい、よく切れる」などのコメントが出ていたのがよくわかる。こういう細い刀は、切れないと研がなければならないが、研ぐのが難しい。

消しゴムだと、最初に切れるのを手に入れれば、しばらくは研ぐ必要はなさそうだ。

 

ボクは、削るのに、1.5ミリと3ミリ、4ミリの丸刀を使った。ウサギの目の所は、キワ刀。

 

・・・・小学生の時使った彫刻刀では、たぶん消しゴムは彫るのが難しい。あれは柔らかい板でもあまり切れなかった(余分な力が入り怪我しやすかった)ような記憶がある。

 

・・・・・・

 

仏像の台座を彫らなければ・・・と思っていたのだが、知人に彫ってもらってからは、気が抜けて、全く刀を握っていなかった。一年ぶりに、ほんの数十分だったが、刀を握り、気分がよかった。

 

来年は、観音立像に挑戦しようかな。

 

・・・・・

 

忘れっぽくなっていて、愕然とする。

 

歯を磨くまえに、お湯がでるようにスイッチを入れ・・・歯磨きを終えて、

・・・スイッチを切るのを忘れてしまう・・・

彫刻刀を探しに部屋に入り、電気をつけ・・・彫刻刀を見つけて、部屋を出る。

・・・部屋の明かりを消すのを忘れてしまう・・・

 

・・・・・

 

住職を引退した大きな理由は、火事を出したくない、ということであった。

 

一人になって、何も彼も自分でやらなければならなくなったら、ポカ・ヌケがかなりあり、気になった。

 

・・・もし、ロウソクを消し忘れたら・・・ガスを消し忘れたら・・・

自分のペースで事を運んでいればそんなことは起こらないが、とっさに行動しなければならない事態になると、

今の事はともかく、その少し前にやっていたやりかけの事などを、忘れてしまう、ということが数回あった。

たとえば;

ことことと大根を煮込んでいて、その間に何かをしていた。そこへ急に檀家さんがやってきて・・・帰った後で、急いでやらなければならないことを準備などしていて・・・焦げ臭いにおいに気づく、と言ったようなことが・・・・

 

まだ、大事には至らないが、この延長上には何が起こるか・・・不安だった。

台所を電化する、ロウソクを使わないで電気にする・・・ことも考えたが

このボケの症状が深刻な域に達したらどうなるかと考えた時、

これは代替わりの時期ということであろう、と思い至ったのであった。

 

・・・・・・

 

”ボーとしてんじゃねーよ!”と言われそうである。

もう少し、自分に負荷をかけないといけないかもしれない。

と考え始めた。

 

 

 

 

 

『年賀状』

本当に久しぶりに、”年賀状”を出そう、という気になった。

と言っても、(終活ですべてに”#さよなら”の挨拶をしてしまったので、)もう出す相手は数名しか居ないのだが・・・

 

郵便局に年賀はがきを買いに出かけた。そこで「賀正」か「迎春」という文字の

スタンプを押して帰ろうとしたら、

もうそれは無いのだという。

今はほとんどがインクジェットになってしまいましたので(そういうサービスは止めました)ということでした。

 

そうか。何時ごろからかは知らないが、そういうことになっていたのだ。

 

無地の年賀はがきを買って帰ったので(というのも、引っ越しの時、もう使うこともないだろうと「プリンター」を処分してしまったので、インクジェット用年賀はがきに交換してもらう気も起らなかった。)

さて。どうする?

 

数枚の事だから、すべて手書きでもいいのだが

せっかく『仏像彫刻』をやって、彫刻刀を持っているのだから、版画を彫ろうか

とも考えたが・・・そう思うと途端に、めんどくせえ

 

そうそう。ネットで彫刻刀を探していた時に、「ゴム印」とか「消しゴム彫刻」とかの愛好家が結構いることを知ったことを思い出した。

それで、消しゴムを使って、ワンポイントだけ、(書を少しだけやっていたので朱肉はあるから)彫ったものをスタンプしよう、と考えた。

 

”あけましておめでとう”は赤鉛筆で書いて・・・適当な位置に、ウサギをプリントする。それでいいのではないか?

 

終活の後も、まだ思いのほか元気かもしれないということになると、〈年賀状〉を出してみようか、などと考える。やはり完全な孤独というのは、無理があるようだ。すくなくとも私には無理のようである。

 

・・・・・・

 

12月は、最初の一週間ほど、じっとしているので、動き始めるのは10日近くになる。何となく気忙しい。

 

 

 

12月8日

おおよそ2600年まえ。お釈迦さまが、明けの明星を見て、

お悟りを開かれたと伝える日である。

 

およそ酔うということからもっとも遠い地点に立ち、

ものを見通した。

 

この日、真珠湾を攻撃した人たちも、先の先まで見通して、作戦を敢行したと信じていたのではないだろうか。(攻撃された側も、その情報は知っていたが、あまりの奇想天外な作戦に、机上の空論として一笑に付してしまっていたらしい。)

 

しかし、数年後には、状況はまったく変わり、思いもしなかった地点に立っている自分を見ることになった。

 

ロシアがウクライナを攻撃してから、10か月になろうとしている。

ロシアの攻撃拠点が、ウクライナ側の標的にされ始めた。

 

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坐禅をして、アイデアがひらめくたびに、メモを取るという話を聞いたことがある。

寝起きに、アイデアがひらめくという人が居る。

 

それと、お釈迦さまの悟りとは、少しは関係があるのだろうか

 

・・・・・・

 

何のために、酔いを醒ますのだろうか

覚めて、何をしたいのか

 

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お釈迦さまの成道を喜び、一言お祝いの言葉を。

 

也太奇也太奇