一見安全であったシステムが、もろくも崩れていく様子が、ホラー映画のように展開するさまが描かれていた。エイプリルフールの日、この映画を思い出した。
今現実に見ているのは、似ているのか、もっと怖いのか。
安全・平和の絶頂期に、あらゆるものが、安心・安住していた。危機など考えないことにしていた。考えると、そのことが現実になってしまうと恐れていたのだろうか。
非常事態である。しかし、非常事態宣言が出せない。出すためには憲法改正が必要だという。その憲法改正をするためには、国会議員の協力が必要である。しかし、信用できない首相のもとでは、協力できないという。勿論その後ろには多くの国民の声があるのだ。
しかし、その信用できない首相の後ろでは、もっと多くの、日本国民が圧倒的支持をしてきた・・・
なんか、軍部が大臣を出さないで、組閣が出来なかったという話を思い出す。
一刻を争う・・・好機が、次々とやり過ごされて・・・追い詰められてゆく。
三竦み(さんすくみ)という言葉が思い出される。
入り組んで結び目を解くことが出来ない・・・アレクサンダーのような者に現れてほしくはないが・・・何とか結び目を解いてほしいものである。
しかし、それは、憲法に、非常の場合の条項を書き加える、そこから始まるという・・・
・・・人に何かをやらせるのは、なかなか難しい。そのことの大切さの共通認識を形成することは、更に難しいだろう。
今朝ノーベル賞受賞学者の本庶タスク氏の言っている言葉を聞いた。
本庶氏の言葉を聞いていて、≪第二次大戦前夜にも、多くの有識者が知恵を絞ったのだが、結局決断する人の所には上手く伝わらなかったのだろうなあ≫
何の力も持たない者に出来ることは、状況に翻弄されながら、生き残る道を模索することだけかもしれない。
難しい決断をしなければならない立場の人たちには、平常心で、ことの重大さに、順序を誤らないで、果敢に対処してほしいものである。(そんなことは百も承知だろうが)