『善悪の彼岸』(ニーチェ)

『曙光』を読んでいて、なんか見通しの悪いところを歩いているような気がし始めて、

先に進むのがつらくなり、つい悪い癖で、他の本に手を出した。

善悪の彼岸

この題名は、禅書でよく出てくる『不思善悪』に似ている。

この本は比較的読みやすい。

 

ルソーに代表される、民主主義化。ニーチェはここに何を見ていたか。p267

 

【私の言いたいのはこうだ。ヨーロッパの民主主義化は、同時に専制的支配者・・・この語をあらゆる意味にとって、また精神的な意味にとって・・・の育成にたいする、思いもかけない準備となる。】

 

またすぐ後に、ドイツ的ということを巡って言葉が続くのだが・・・p270

 

【ドイツ人そのものは存在しない】とあり、

 

純潔なアーリア人などということは何処にも出てこない(まだ途中なので何とも言えないが)

 

ボクは決してナチズムとの関連を探しているのではない。・・・トーマス・マンファウスト博士』を読む準備をしているだけなのだが・・・。

(民主主義と専制主義の相性については、2000年も前に、プラトンが書いている。)

 

余りにも長い間ニーチェを読んでいなかったので、記憶を呼び覚ますために、ちょっとだけ読んでみようと思ったのである。

『現代ドイツ』を書いた三島さんは確かニーチェを研究していたと記憶するし。

 

何処か目的地があるなら、何をしているんだろうと思うところだが、そんなものはないので、ま、神保町の散歩をしていて、店を冷やかしているようなものであろうか。

 

(夜寝る前には、『荘子』を読み始めた。『史記』にしようか、どちらにしようか迷ったが)

 

今日は終日雨。いよいよ梅雨入りしたようだ。