『列子』より  2

北の果ての燕の国の男で、生まれは燕だが南の果ての楚の国で育ったものがいた。それがもう年老いたので、生まれた燕の国に帰ろうとして、途中、晋の国にさしかかった。すると道連れの男がその男をだまして、晋の国のある城市まちを指さして、「これは燕の国の城市だよ」といった。すると、その男はさっと顔色をかえて居ずまいを正した。つぎにまた土地の神を祭った社を指さして、「これはあんたの郷里の社だよ」というと、その男は深くため息をついて感じ入るのであった。また、ある一軒の家を指さして「これはあんたの先祖代々の家だよ」というと、今度は涙をはらはらとこぼして泣き、次は小高い塚を指さして「これはあんたの先祖代々の墓だよ」というと、その男はこらえきれず声をはりあげておいおい泣き出して、泣き止めなかった。

その道連れの男は(おかしくなって)げらげら大笑いしながら、「私はさっきお前さんをだましてみたんだよ。ここはまだ晋の国でしかないさ」というと、その男はすっかりきまりが悪くなってしまった。

やがていよいよ燕の国に着いて、こんどは本当に燕の国の城市や社を見、また本当に先祖代々の家や墓を見たが、そのときには故郷や先祖を慕いなつかしむ気持ちはもはやいっこうに沸いてはこなかった。

 

列子 上 周穆王第三  十一  (岩波文庫

 

第三巻の最後の言葉です。・・・

確かにそうかもしれないなあ、と思うが、さて、わざわざ取り上げる程の事なのだろうかと考え始めると・・・作者の意図如何??

いろいろ思いますが、作者がここに置いた気持ちと似ているのかどうか・・・