第三部(下巻)に入った。
ぼくたちは、こうある、ということに慣れているのだが、シュティフターは、こうあるべき、というところを描こうとしている、ようだ。
・・・こうあるべきだと思いながら、重力に押しつぶされるようにして地を這うような、人々の姿ではなく、まるで重力を無視しているような、天人の世界・・・
都会へ都会へと、出かけるようになる前の世界。まだ通信手段が手紙。テレビを見て時を過ごすことも無い。そういう時代でも、
田舎に住んで、散歩をし、自然観察をし・・・という生活に安住するのは難しかったにちがいない。
まだないものを求める。いまに満足しない。ないものねだり、そういう人間の性のようなものは変わっていないように思う。
ただ、それが、露骨に現れるのは、神を見失ってしまったからなのだろうか。
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主人公(語りて)は、ある少女と惹かれあっていたことに気づき、向き合い、状況は一気に結婚に向かって動き始める。
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全然違うといえば違うのだが・・・ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』を思い出した。同じような時代の空気を感じる。
・・・思想が衣を着て自然の中を歩いているような・・・
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窓を開けて寝ていたのだが、ちっとも涼しくならないでむしろ気温が上がってきたのかもしれない、寝苦しくて目が覚めた。夜中の2時。しばらく宙を見ていたが、完全に目が覚めたようだ。
それで、ブログを書き始めた・・・