『正法眼蔵』(岩波文庫)

全部で4冊ある。(30年以上前の本だから、もう古本しかないかもしれませんね)

 

解説によると、道元禅師(1200~1253)には、いくつかの『正法眼蔵』といわれる著述がある。その中で、道元禅師が一番最後の頃に構想していたのが「百巻の正法眼蔵」で、その12巻まで書いたところで、病気で亡くなった。

 

百巻の正法眼蔵に取り掛かる、それ以前に、道元禅師が書き続けていた75巻の正法眼蔵がある。また後に、弟子たちの編集した95巻の正法眼蔵もある(確かこれが本山版)・・・

 

私が勉強したころは、まだこの岩波文庫が出る前で、古い岩波文庫は絶版になっていた。それで、「本山版 正法眼蔵」というのを使って読んだ。

 

今回は、寝転がって読むのに佳い、文庫本を手に取っている。

その第一冊から第四冊の途中までは「75巻本正法眼蔵」である。そこを後回しにして、最初に、禅師が最後に構想されたところの「12巻正法眼蔵」(第四冊目途中から)を読み始めた。

 

その第一巻『出家功徳』

出家の功徳について書かれている。

 

ここに、何度読んでも、心が動かされることが書かれてある。誰もがそうなのかは分からないが、私は大きな衝撃を受けた。

もう坐禅を始めてから10年ほど過ぎていた。出家してからでも9年ぐらい経過していた。

未だに坐禅に拘り禅定に拘っていた。そういうときに、読んだ。

 

酔っぱらったバラモンの話。それから、蓮華色比丘尼の話である。

 

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ここまで書いて、本文の引用をしようとしたのだが・・・相当長くなる。それに自分の受けた衝撃の説明は、説明するのはもっと長くなりそうで・・・また、この30年前のことが少しづつ思い出されてきて・・・

 

中断することにした。削除してしまってもいいのだが、いま正法眼蔵を読んでいることは書いておきたいので・・・・まあ、中断したことも記しておくことにした。

 

一言でいえば、私の中で初めて、【坐禅】が【仏法】と結びついた。あるいは葛藤した。

しかし、分かるように話そうとすれば長くなる。

 

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ところで。今日の【産経抄】には、本当に久しぶりに、分かりやすい、当たり前のことが、書かれている、と思いました。

こういうことが言えるようになってきたのですね。

・・・振り子が振れ過ぎるのは困りますが・・・。

 

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