【「あらゆる結婚の儀式の中で、もっとも神聖で、もっとも
サブライム(気高い)なものは、未開民族の間に今日でもまだ行われている略奪結婚のそれである。・・・
近年まで、この風習が日本の片すみに残っていたが、惜しいことに、もうどこにも影をとどめなくなったらしい。
そうして、近頃都会で行われるような、もっとも不純で、最も堕落したいろいろの様式ができあがったのだ。」
こう言ってP君が野蛮主義を謳歌するのである。】p33
ちょっと唐突な感じがし、ビックリした。こういう発言が、一部では歓迎されていたのだろうか。それはどういう流れの中でのことだろうか・・・
ちょっと気になってあれこれ考えた。
まず。不純というのは、お金がものをいう様々な様式の事だろうか。
金色夜叉ではないが、「ダイヤモンドに目が眩んだか‼」・・・
・・・お金のことであまり苦労することのなかった大正時代のエリートには、
自分の気持ちに素直なのが気高かったのだろうか・・・しかし、相手の気持ちは如何なのだろうか。・・・こういう考え方も負け犬の遠吠えになりつつあったものか
『坊ちゃん』の時代はたしか明治中頃だったと思うのだが、大正も似たようなものだったのか。この頃には小金持ちはたくさん生まれてきていただろうし、彼らの大半は
知的エリートではなかっただろうから・・・
確か文化というのは割れ物を袱紗に包むようなこと、と誰かが言ったような・・・
とすれば、やはり、野蛮主義は廃れてゆくもののようにも思う。今や割れ物よりも高価な袱紗が大きな意味を持っているのかもしれない。
ま。当然といえば当然である。今や見た目が八割以上、の時代だもの。
これが書かれてから丁度100年である。100年の長さというものが、すこしだけ感じられる。・・・思う以上に遠ざかってしまったのだ、と。