玄徳は、新野の人々を連れて、逃避行を始める・・・このあたりを読み進んでいて、私はどうしても董卓が長安へ逃れた時のことを重ね合わせてしまう。
・・・何故止めない???
連れていかれた人々は、新しい地で開拓民になるのか?
何を考えていたのだろうか?
負けてばかりいて、おまけに荊州を奪うつもりもないというのでは、どうするつもりだったのか。無責任ではないのか。
この巻は読んでいて疑問が多く、腹立たしいだけである。孔明は、まだ全く無策である。
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この辺は事実と大きく食い違っているのだろう
そんなことを考えてしまう。
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かなり古い本である。1978/3/10 読み終わった印がある。
この本の初版は昭和15年とか。そして手にしているこの本は、その時から37年後に、別の出版社から、新版を出したときの本のようである。これも本棚の奥でほこりを被っていたのを引っ張り出した。
第一の目的は、劉備の逃避行に住民がついていったのかどうか、知りたかったからだが・・・というのも、もう手元には、調べたくても、吉川さんの本とか魯迅の本とか、その他、何も残っていない、全部ヒトにあげてしまったから。
この本によると、ハッキリしないが、どうも住民はついていったらしい。
(図書館は歩いて行ける距離にあるのだが、ここは都会なので、おそらく利用する人が少なくないと思うので、しばらくは遠慮しようと思っている。)