三国志(三国演義)

岩波文庫全十冊

 

『中国中世史研究』を読んでいたら、読みたくなった。

 

ほこりを被っていた文庫本を取り出した。九冊しかない。・・・どうしてか。

 

・・・思い出した。

孔明が死んで、魏が司馬氏の手に落ちたところで読むのを止めてしまったのであった。だから第十冊は買ってない・・・今回は最後になるだろうから全部読もうと思って、改めて第十冊を購入しようとしたら、新版になってから久しいらしく、古いものは随分高価である。仕方ないので、新版の第八冊を注文した。新版は全八冊になっているのである。

 

最初は、1972年の12月7日に読み始めている。二回目は、74年の4月11日。三回目は78年の12月8日。最初に読んだのは、もう50年も前の事である。

今回は、何回目になるのか分からないが・・・最後まで読むのは初めてということになりそうである。この時代については、少しは知識も増えているので、忘れてしまったことも少なくないのだが、読み進む中で思い出すことも多いだろうから、まあ、愉しく読み進められるのではないかと思っている。

 

昨日、100pほど読んだが・・・あの裏切り者の呂布をどうして好きになったものか。まだよく分からない。当時のボクはよほど屈折していたのだろうと思う。

世の中になかなか認められない人に共感するなら、劉備など三兄弟が好きになってもいいはずなのだ(それが作者の求めるところでもあろうに)

 

それはそれとして。当時(50年前)は、9冊をやく10日で読んだようだが、今回はもっとゆっくり読もうと思っている。

 

晋の後華北は異民族の支配地になるのだが、それらしいことはこの時代にもはっきり表れていたに違いないのである・・・おそらくは呂布の生き方は漢民族の教養とは別のものである・・・荀彧や孔融のような文化人と、そうでない人々と、その場その場でどんなふうに動いたのか、興味のあるところである。勿論、この本が書かれたのはずっと後の明かそのころであろうから、当時の好みがそのまま表れているとはいいがたいだろうが。