詰まらないことをいろいろ思うのだが

その一つがテレビ。

ボクは長い間テレビのない生活をしていたので、基本的にテレビは嫌いである。だから、朝食事の時ぐらいしかテレビは見ないのだが、その時でも、不愉快な場面に出会うとチャンネルを変えて、近頃は2チャンネル、子供向けの番組を見ることが増えている。

 

相当昔(高校生)のことになるが、マクルーハンと言う人の書いた本を読んだことがあった。確か、本とテレビと映画について書いていたと思うのだが、本は一人で読むものだから冷静でいられるが、映画は、沢山の人とともに見る、だから雄弁に酔うことと同じようなことが起こる。大衆を誘導する、それに乗せられてしまうというようなことが、かなり詳しく論じられていた。どちらかと言うと、その危険よりも、その効果を考えているような論調だったように記憶しているが・・・。テレビについてもCMの効果についてとか。

 

情報弱者という言葉が、連想で思い出されてくる。

 

テレビとか映画とか、与えられたものを受け取るだけを続けているのは、どうなんだろうなあ、と不図思う。

テレビなどは、一人暮らしだと、ついスイッチを入れて、聞くともなく聞いている。寂しさを紛らわせているのだろう。しかし、そこに非日常的な過激な映像が流されてくると、

一方的に、洗脳とまではいわないが、ある情緒が喚起されてしまう。

スイッチを切ってしまえばいいのだが、切る勇気はなかなかないだろう。

本を読んだり、趣味を持っていたり、仕事を持っていたり、そちらに気持ちを切り替えないと、結局雄弁家に洗脳されるようなことになってしまうのではないか。

はなはだ舌足らずだが、他に振り回されることの危険性には敏感で居たいものである。

 

ホッブズ『法の原理』(岩波文庫)を読み始めた。『リバイアサン』とか『ビヒモス』を読んだときには政治の所以外はスルーしてしまっていたが、今回は、最初から読んでいる。あの時代、かれはどういう物の見方をしていたのか、そちらに関心が移ってきている。

第一部、自然的人格としての人間について、をよんでいるところだが、モンテーニュとかF・ベーコンのものを読んだころのことを思い出す。なかなか興味深い。

いくつか引っかかるところがあるが、一応最後まで読んでから考えてみようかと。