寂寥感というのか

昨日、おにぎりに嚙り付いたら、前歯が折れた。根元から。痛みも音もなく。

 

おにぎりに噛みついている歯を取り出して、つらつら眺めてみるに、

ひびの様な模様があり、そうとう、年季を感じさせられる。恐竜の鉤づめほどではないが・・・。

 

・・・硬い歯ですら、傷んできている。・・・

・・・身体全体が、バラバラに分散しようとしている。

 

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『ことばの社会学』(新潮文庫)再読である。

いろんなところに書いた短文を集めて本にしたものである。

まだ途中であるが、印象深かったものを2つ3つ。

「国際化と日本人のアイデンティティ」p63~74

「ひ弱な日本人」に国際化は可能か p75~94

これらは、比較的長い記事だが、よく纏まっているように思う。書かれたのはどちらも昭和62年1987 35年前である。

 

ひ弱な日本人、の、実験の様なことが実際にペルーで起こった。

アイデンティティの危機に際して、日本人が結束し、日本人町のような様相を呈し・・・やがて、日本が消えた時1945から、ペルーの環境に同化して生きる道を選んで、日本語すら捨てるということになった・・・。

 

何千万人もが行き来し、移住する世界の中で、200年後の世界の中で、日本人はどういうことになっているのか。

あと数年先も見届けることが出来るかどうか、覚束ないのではあるが、心配ではある。