『大航海時代に・・・・』何が問題なのか分からないのだが、読もうという気が起こらなくなってしまった。
それで、しばらくは、どういうことなのかと迷いながら、本箱を眺めていたのだが・・・
たぶん気分転換が必要なのだろうと思うことにした。
小説の類がいいのではないかと思ったが
本箱の下の隅っこの方に置かれている(いつの間にかこういうところに移動してしまった)・・・本当に久しぶりのことなのだが、『史記列伝』(岩波文庫)を手に取った。
『史記列伝』は全部で5冊ある。
気が向いた時に何回か手に取っているので、書き込みや赤線が引いてあるが、全部を通して読んだことはまだないように記憶している。
今回、通読してみようか、という気になっている。
そろそろ読めるのではないか?
今までは、興味のあるところしか読めなかったのだが・・・
「伯夷列伝 第一」これは、巻頭、わずか4ページほどだし、何度も目を通している。10遍ぐらいは読んだことがあるのではないだろうか。
司馬遷にも思い入れがあるようだが、多分孔子には伯夷叔斉の(抗議の)餓死ということには愛着するところがあるのではないか。司馬遷の思いというのには、更に”疑問がある”ようである。天道に対する疑問。それが、巻頭に置かれる理由のようにも思う。
「仲尼弟子列伝 第七」の弟子の8番目に子貢の伝があるのだが、この項はかなり長い。後の戦国の世ならば、高く評価されたであろう才能の持ち主のようだが孔子からは必ずしも高い評価は受けていないようである。
26番目に樊遅が出てくるのだが、これも孔子にはあまり評価されなかった弟子のようである。今の世ならばどうだろうか。孔子は人の上に立つ人材を求めていたので、額に汗する人に対する評価は低いようである。
子貢がこれほどページを費やして書かれているということは、孔子はともかく、司馬遷にはそれに値するという思いがあったのだろう。あるいは司馬遷の時代には、子貢の流れをくむ儒者が大きな勢力を持っていたのかも。
「老子・韓非列伝 第三」では、韓非子におおくのページが割かれている。
「伍子胥列伝 第六」にも多くのページが割かれている。
司馬遷の個人的な思い入れが強いのかも知れない。あるいは、最初の疑問に繋がってくるのかも。
非人情と思えるところで、人はどう行動するか。列伝には、さまざまな人の行動が描かれている。描くに値すると司馬遷の目には写った人々の姿であろう。
※ 活字の大きさが違うのは、大きな活字の部分は、officeで作成した。小さい部分(いつもと同じサイズ)は、今此処で直接書いている。なぜこういうことになったかと言うと、しばらくインターネットが繋がらなかったのでした。