見ている時には、後で感想で書こうと思いながら、見終わった後では、ついつい
”ま、いいか。めんどうだ。”と思い直して、お茶を濁してしまっていたのだが、
やはり。言わないと落ち着かないような気がして・・・
ボクが見たのは、探偵・検察・刑事・弁護士・商社マンなどが主役のもので、いわゆる恋愛ものではない。だから、韓流の主流を見たのではないかもしれないが:
顕著な特徴がある。否定を契機として、主人公が新しい生き方をせざるを得なくなる。
殺されてゾンビになったり、暴力的過ぎて脳の一部を切除されたり・・・交通事故で記憶を無くしたり、と。暗数殺人の被告(彼も主人公の一人)は、自分の努力で自らを変えようとするのだが、うまくいかない。結局自殺する。
禅に”死んで生きるが禅の道”という言葉がある。
それまでの自分が死んで、新しい自分が生きる。その新しい自分はすこし視野が広くなる。あるいは、今までとは違う視点でモノを見るようになる。
それを思い出すのである。
日本は、一度植民地支配を受けて、西洋流の考えを受け入れてしまったから、欲望の絶対的肯定に立っている(これを疑うことはある意味許されない)が、それ以前は、日本も韓国のように、(欲まみれの)自然な自分を完全に肯定していたわけではなかった。
しかし、日本の場合は、小さな自分を捨てて、大きなものに同化しようとして、結果的に、他国を侵略する(弱肉強食は当時の主流の考え方であった)ことになってしまったので、羹に懲りてしまった。
韓国は、仏教の中でも華厳といわれる教えがかなり浸透した国柄である。と感じさせられる。
華厳と言うと、日本では明恵上人が有名だが、韓国のようには広まらなかった。ただ、禅は華厳の影響が強いので、戦前までは、ある意味似ていたかもしれない。(日本はどちらかと言うと法華経好みであろうか)
羹に懲りて膾を吹く様なことには、そろそろ、目が覚めてもいいのではないかと感じさせられる。
ただ、いかに頭が良くても、自分流の努力ではどうにもならないのだとは、暗数殺人者が身をもって示している。
・・・じたばたしても始まらないか・・・どうすればいい??
言葉が足りないが、書けばこんな感想になるのかな。