『ダーウィン以来』J・グールド

久しぶりに、グールドを読みたくなった。

彼の本をほとんど手放してしまったので、いまはこの本しか手元にない。

パラパラめくってみると、赤線が沢山引いてある。

お気に入りの本なので手元に残した可能性は高い。

(しかし、悲しいかな、そのことが思い出せない。)

 

1995年発行

プロローグ

ここに次のようなことが書かれてある。

第一に、進化には目的がない。

第二に、進化には方向性がない。

第三に、自然を解釈するに、一貫して唯物論哲学を適用した。

そうなのだ、この世界はダーウィン以来変わってしまったのである。

 

第一部 ダーウィン小論

一章 ダーウィンのためらい

なぜ、進化論の発表を20年以上も遅らせたのか

恐怖心だったのではないか

有機体の神的作用への愛、おお汝唯物論者よ!・・・なぜに脳の分泌物たる思想が、物質の属性たる重力よりも不思議さにみちているというのか。それはわれわれの傲慢、われわれのわれわれ自身に対する賞賛。】p32

 

プラトンは『パイドン』の中で、われわれが「思い描く種々のイデア」は魂の先在を前提とするものであって、実際の経験に由来するものではないという・・・ここで先在は、サルたちとよみかえるべし。】p33

 

【私がどの程度唯物論を信じているかを述べることは避けるべし。情動、本能、才能の程度は遺伝するものであり、子どもの脳は親の血筋を引くものであるから、物質を基盤にしていることを述べるにとどめよ。】p34

 

これは、進化論の草稿を作る前に書いたノートにある言葉の一端とか。

 

まだ、再読を始めたばかりだが、なかなか面白そうである。

 

外国に行くときに、宗教の項目に、無神論と書いてはいけない。無神論者は蛇蝎の如く嫌われる。仏教徒と書きなさい、とは、何度も教えられたことであった。

そのことを思い出す。