『戦争における「人殺し」の心理学』 最終回

アメリカ陸軍の S・L・A・マーシャル准将が、1947年、第二次大戦中8割の兵隊は発砲していなかった、と発表した。しかし、ほとんどの人は、学者も軍人も、そんなことは信じなかった。がアメリカ陸軍では深刻に受け止め、マーシャルの提案にもとづいて数多くの訓練法が開発されたという。

 

そこから、洗脳してでも、兵隊に敵を殺させるという工夫がされるようになったようである。

 

その中でいろんなことが分かる様になったらしい。戦場というのは人間にとってもっとも過酷な環境らしいが、それが長期にわたると、98%の人は精神に変調を来たす。そういうところでも、2%の人は狂気に追い込まれない、ということも分かった。それは、戦場に来る前から、すでに正常でない、攻撃的社会病質者らしい。しかし、そういう者がおおいに役に立つ場所もある。狙撃兵などにはこういう人が多かったらしい。

 

こういうことを聞くと、本当だろうかと思ってしまう。

あの過酷な第一次・第二次大戦で、20%ぐらいしか発砲していない。あとは銃をもっていてもただ撃つ格好だけしていたというのだ。信じられなかった。

確かにアメリカでは、良心的兵役拒否ということが認められていたらしいが、昔読んだ岩波新書では、相当厳しくて、クエーカー教徒だけが許されて、あとは殆ど許可されなかったようなことが書かれてあったと記憶している。だから、戦場には行くが、発砲はしないと決めていた人も多数居たという事なのだろうと思うが、それが80%というのは驚きである。(これほどの人が反対でも、戦争は起こるという事なのだろう)

 

自分だったら、撃つけど当たらないように、と思うような気がする。

しかし、戦友が危うくなったら、何もしないで居られるかどうか、自信はない。

 

 

また、別の所で、空中戦で撃墜された飛行機の40%は、たった1%の飛行士によって撃ち落されている、という。これも驚きである。技量だけの問題ではないのであろう。

 

ベトナム戦争の後、多くの病人(薬物中毒・アルコール依存症など)が出て、社会問題になったのは、一つには、人を殺してしまった、あるいは良心に恥じる振る舞いをしたという事だが、もう一つは、国のためにやったことなのに、国民から賞賛されなかった、という事も大きいようだ。国民から、よくやったと賞賛されれば、かなりの程度慰められる。

国のため・仲間のためにやったことが、自分の良心に照らしてぐらついている時に、国からも非難される。これは辛いだろう。

戦後、引き揚げてきた日本の兵隊たちには、どこにも味方はいなかった可能性が高い。辛かったろうなあ。

 

国の指導者から見れば、戦争は人殺しではないかもしれない。しかし、兵隊になるしかない立場としては、人が殺せるか、は考えておかなければならない大問題である。