以前。修行道場にいたころ、誕生日を祝ってほしいものは、その日の材料を提供してみんなにご馳走を作ってもらい、一席設けて、祝ってもらうということがあった。
みんな、それは楽しみな(息抜きの)日でもあった。本人も主賓であるし、仲間に自分を良く知ってもらう機会でもある。
そういう過去の日々をひさしぶりに思い出した。
ペルーでも似たような体験をしたのだったなあ。・・・なにかあると、みんなで料理を
手作りしてお祝いをした・・・
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昨日。4年ぶりでお会いした先生にペルー料理店に連れて行ってもらった。そこで、また、そこまでの道中の車の中でも、いろんな話を、聞かせてもらった。
コレヒヨ・ヒデヨ・ノグチ(幼稚園から高校までの私立の一貫校)は閉じてしまったということをつい最近聞いて、驚いた。そして、そのいきさつを知りたいという気持ちが強かった。
ボクの思ったのは、コロナの影響ではないか、ということであった。日本で休校が始まったのと同じころ、ペルーでもやはり学校はお休みになったからである。
それもあるかもしれないが、治安悪化が一番の理由のようである。
今のペルーは政情がとても不安定に見える。その影響かどうかはわからないが、学校のすぐ近くで発砲事件があり、そのことがきっかけのようである。学校の周辺がそういうことが起こりやすい場所に変わってきてしまった・・・
学校をもっと安全な場所に移転し、再出発をするとなると、なかなか大仕事である。いまの校長先生には、ご高齢でもあり、それはやり遂げるのは難しい。といって引き受けてくれそうな者も見つからなかった、ということらしい。
先生たちや子供たちの行き先はどうなったのか;子供たちの受け入れ先は大丈夫だったらしいが、先生たちの中にはまだ失業中のものもいるようである・・・
この先生は、離婚して、日本に居を移すことになったようである。彼は向こうに残り、彼女だけが日本に来た。
学校で一緒に働いていた仲良しのペルー人の同僚もつい最近離婚した・・・
彼女は、いとこと一緒に仕事をしようとしているらしい
わたしがペルーに移住しようとしていた時に、一番大事なのは、家族と友達である、他は信用できない、それを覚えておかないといけないといわれたが・・・
コロナが引き金を引いた形で、ドミノ倒しのように、いろんなことが起こっているのかもしれない。
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店を出るときに、お金を出そうとすると、今日はあなたの誕生日のお祝いだから、と言われ受け取ってもらえなかった。恐縮してしまった。
・・・彼女の誕生日は、たしか冬である、その時はボクが誘ってお祝いをしてあげなくてはならない、と思った次第である。