上巻の終りの頃に、水戸天狗党の残党が敦賀で処刑されたことが書かれてある。
【・・・そのかれらを、豚のように屠殺した。
”幕府、血迷ったか”という声は天下に満ちた。天下の過激世論が攘夷から倒幕に転換したのは、このときであるといっていい。】p385
幕府に対する信頼が一気に崩れた。
これから、新選組の近藤さんのグラグラ揺れる様子と、土方さんの、頑なな剣への執着がハッキリしてゆくのだが・・・
・・・これほど急激に時代が移り変わってゆくと、自分が濁流に呑まれた小舟のような気がする。眩暈がするような感じである。眩暈するままグラグラを続けるか。何かにつかまるか。グラグラ揺れないモノとは何なのか
今ここで、安政の大獄や天狗党屠殺のようなことが起こっているのかどうかは、まったく知らない(残念ながらそういう鳥の高みから見る目を持たない)が、まあ、自分にできるのは、(グラグラ揺れている)小舟にしがみついているだけなのだろうなあ。
誰もが発言しようとすれば発言できる。しかし、政治にはそれは反映されない。政治家から見れば、ノイズのようなモノなのであろう。ノイズを声に変換できる人が少ないという事なのか。変換の仕方が間違っている(悪意がある)という事なのか。
考えて見れば、いままでに、ノイズを拾おうという発想そのものがなかったような気もする。醸成される空気は、これからも独り歩きするのだろうが・・・
自分の周り2,3mぐらいしか見えない者が、見えない暴流(時代)に翻弄される。巧く流れに乗れなかった(というより、のらなかった、乗ろうなどとは思いもしなかった)者たち。
ボクは、司馬遼太郎の小説はあまり読んだことがないのだが・・・