散歩していたら、キンギョソウやノカンゾウの花が咲いているのに出合った。
この花をみると、昔のことを思い出す。
この前の記事でも、昔のことを思い出していたので、昔のことを思い出してばかりいるようだが・・・・
お寺で、沢山の人のあつまる法要の折に、家内が、ノカンゾウやキンギョソウを使って花を活けたことがある。
これは、ボクが、偏屈だったからなのだが:
お寺は高価な花を購入して、人(檀家にはそういう人は何人かいる)に頼んで活けてもらうところが多いのだ。なにしろ多くの人を招待しての法要だから、準備も多く、自然にそういうことになるわけなのだが・・・
貧乏寺ではお金はかけられないから、その辺に咲いている花で工夫してくれ、と家内に頼んで活けてもらった。
あちこち山の中や川べりなどを走り回って花を探し、集めてきた花を活ける。虫が食っていたり、曲がっていたり、そうとう苦労して、活けてくれた。
諸準備と並行しての作業だから・・・とくに野の花は水の揚がりが悪いだけでなく、一日花が多い。前日に活けた花は翌朝には萎んでしまう。・・・
そんなことは何も知らない私の無理難題を、文句ひとつ言わないで、夜中過ぎまで作業をして、客を迎えた。
お寺さんも檀家も、花を見てざわついたことを思い出す。こういう花が床の間に活けてあることは驚きだったのだろう・・・
家内はお茶もお花も師匠の代わりに教えていたこともあるので、難しい課題でもやってみようと思ったのだろうが・・・
そういう昔のことを思い出す。
・・・思い出すのは、個人的には苦い思い出が多い。何も知らんかったこととはいえ、家内にはそうとう無理難題を押し付けたなあ・・・
若い時には、キンギョソウはたんなるキンギョソウだが・・・歳をとりいろいろ経験すると、キンギョソウもそう簡単ではない。・・・フラッシュバックのようなものだろうか。