日系人が、ある一日、国会議事堂のなかで、”日本とペルーの友情のための日”という会合を開く。どうやら毎年のことのようである。
日本側からは大使ご夫妻が参加されているようです。
そこに、野口学校の生徒の代表が10名ばかり出席した。ボクも一緒についていった。
ペルーの日系人は10万人余りと言われる。その人たちが、国会議事堂を一日貸し切りで会合を開く。ペルーの中で、日系人がどれほど努力してきたか、どれほどの力を持つようになっているか、伝わってくる。
と同時に、嫌われていることも想像される・・・アメリカ合衆国の中でアジア系の人々が嫌われるのと同じようなことである。
戦前の反省から、日系人が固まるのではなく、ペルーのなかに溶け込もうと努力して、一時日本語を忘れてしまうほどの努力をしてきたと聞く。その努力を、認める人々と、脅威と感じる人々とが居る、という事であろうか
ボクが野口学校にお世話になっていた頃、生徒も先生も、日系人よりもペルー人の方が圧倒的に多いような感じであった。近いところにいる人々とは、溶け込んで仲がいい。
兄弟姉妹のようであった。
追加;
7月6日はdia del maestro 小学校の先生の日。先ほどChana先生にチャットでお聞きしたところ、その日かその週の金曜日に、学校がお休みになることが多いと。先生同士でプレゼントをするとも。
そういえば(思い出したことがある)、私は意味も分からず、抽選をして、何々先生にプレゼントをしてくださいね、と言われたことがある。そのとき、どうしていいか分からず、買い物も出来ず、友達から頂いたクラシック音楽のCDをプレゼントしたことがあった。その何々先生というのが音楽の先生だったからだが・・・。
あの日が、マエストロの日だったのだ。今頃になってそう思う。
日本がそうなのか私の家がそうなのか、私はあまりプレゼントのやり取りの経験がなかった。だから、ペルーで、招待されても理由を付けて招待を断ったこともある。
そんなことを思い出した。(一度断ると次はないけれども)