ペルー・リマでのこと つづき3

売店・県人会などの出品

野口学校は、いろんな行事に積極的の参加していた。この、

日系人の集まる”reunion祭”というのにも、かなり積極的であった。

何時ごろから準備しているのか、分からないが、相当前から準備をしている筈だ。当日は、弁当や焼きそばを売る。昼前から午後8時過ぎまで。

そのころになると、関心は食べる方から踊ったりする方に変わる。そのころからは、祭りのおみこしを担いだり、そのあとの”集会(これはもう日本では流行らなくなってしまったと思うが、老人たちが延々と長話・自慢話をする。くたくたに疲れているところなので、そろそと止めてほしいなとボクなどは思ったが、日系人たちはそういうものだと思っているようで、愉し気に聞き入っている。ペルーでは老人を先駆者というように、非常に尊敬しているのである。)

そして最後、12時近くなって、花火が打ち上げられる。

そのあと、後片付けをして、学校に戻る。全部終わって家に落ち着くのは、2時ごろであったろうか・・・

まあ、ペルーの人たちは元気だなあ。

こういう底知れないエネルギーのようなものを、もうボクは失っている、と感じた瞬間であった。

 

野口学校のおみこし

ヒロシマナガサキ原爆展

リマの中心部に近いところに、日秘文化会館というところがある。日系人がよく利用しているところである。ここには、日本食堂もあるし、老人(先駆者)福祉センターのようなものもある。銀行も図書館も劇場もある。待合室では、日本のNHKの放送が流れている。

公民館のようなものもある。確か、茶室もある。地下には武道場もあった。

よく催し物が行われるが、このときは、ヒロシマナガサキの原爆関連のパネルが展示されていた。

ボクは一時、老人のデーサービスの手伝いを毎週していたことがあるのだが、バスで往復するとき、通勤時間帯で混雑して、家を出て乗るまでに30分、乗れても、立ち通しで1時間半ということはザラで、そんな日はサービスのお手伝いしている最中に眠くて眠くて、ときに寝てしまうということがあり、これでは迷惑をかけるだけだろうから、続けるのは無理だなということで、止めてしまった。あとで、そのお手伝いの中で知り合いになった方から、如何して辞めてしまったのか聞かれたことがあったが、答えるのが難しかった。

これも、体力のなさを痛感させられたことの一つであったなあ

 

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百合の花が咲き出した。