「セポイの反乱」

1857年のこと。翌1858年にはムガール帝国が滅びて、イギリスの植民地になる。

 

タージマハールの完成が1653年と言われる。金銀財宝を湯水のごとく消尽して20年以上もの時間をかけて、若くして死んだ妻の墓を作った(インド旅行の折、大理石に貴石をはめ込んだ、結構高価な小物を土産に買って帰ったのだが、それは、このタージマハールの象嵌のために数万人が一か所に集められた。そのときの職人の末裔が作っているらしい)その最盛期から、約200年後。

栄枯盛衰は世の習い、と言ってしまえばそれまでだが。

 

セポイ›というのは、傭兵のことらしい。インド支配のための、イギリスの東インド会社の雇った傭兵集団。それの主力は、ヒンズー教徒とイスラム教徒。

1853年、新しくエンフィールド銃というのが使われることとなった。これは火縄銃などと同じように弾を銃口から込めるのは同じだが、改良されて、弾薬筒というパッケージされたものの末端を口で咬み破って、使う。銃身との摩擦を軽減するために、豚と牛の油を混ぜてあったようである。

それを知ったセポイヒンズー教徒もイスラム教徒も)は激怒した。

 

”俺たちから何もかにも奪っておいて、さらに宗教までも奪うつもりか”

 

当時、キリスト教の布教も盛んであっただろうから、豚肉を不浄と考えるとか、牛を神聖な動物と崇めるということは、布教師から迷信として馬鹿にされ、否定されていただろう。

 

全てを奪って、宗教まで奪う。そう思い込んだセポイが反乱を起こし、それが燎原の火の如く広がっていった・・・・

 

イギリスは巧妙に全てを収奪した。その上に、宗教まで奪う・・・。これはうわさに過ぎなかったのかも知れないが・・・すぐにでも火がつく状態であったのだろう。

 

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木陰は涼しそう