『昭和の精神史』竹山道雄著

講談社学術文庫

 

二部構成 「昭和の精神史」と「手帖」

 

ボクは最初、「昭和の精神史」から読み始めたのだが・・・赤線が沢山引かれていて、どうも邪魔で・・・ボクの引きそうなところとは随分違っているので。

「手帖」の方を読み始めた。こちらは手つかずのようであるので。

 

これは、古本を購入したのだが、定価の2倍ほどの値段であった。<良>の評価なのだが、数えきれない線が引かれて、ページを折った跡も散見される。

多分絶版になって久しいということであろう。こんなにも汚れていて高く売られているという事は、この手の本は、あまり出回らない証拠のような気がする。

必読とまではいわないが、読んで損のない本だと思うのだが。

 

「手帖」は昭和24年か25年ごろ書かれている。明治以降(特に夏目漱石の頃から)、芥川龍之介の自殺の頃までの時代の空気など、さもありなん、と納得させられる。

 

まだ、途中である。・・・P320に

 

【じつに奇妙にきこえることであるが、多くの西洋人が、日本ではデモクラシーが実現されている、といっている。また西洋には政治的平等はあるが社会的平等はない、日本には政治的平等はないが社会的平等はある、ともいっていた。・・・・。とにかく、ヨーロッパの社会がいまわれわれの周囲で理想化されて考えられているような理想郷でないこともたしかである。一長一短ではあっても、全体としてみるとき、すくなくとも道徳的見地からいって、それがわれわれの社会より立派であるとはとうていいえない。・・・私はそう思う。】

 

これは、戦勝国に追随する日本のあり様に苦々しい思いを持っていたらしい著者の感想のほんのさわりである。またこの文章のすぐ後では、ヨーロッパの階級観念はきびしい。とも。

・・・日本でも近頃、そうなってきているような気もする。また、道徳的見地から見ても、五十歩百歩になったような・・・。

まあ。3代にわたって、尻尾を振り続けたわけだから。飼い犬が飼い主に似るような感じかな??

 

江戸末期から、「追いつけ追い越せ」と駆けなければならなくなって、何を失い何を得たのか。ちょっと、高いところに視点を据えて、眺めてみたいところです。(ボクは他に何かが出来たとは思っていません。自分の足元をあらためて見直すには、そういう作業は必要かと)

 

・・・・・・・

 

昨日、一昨日と、軽い熱中症らしい症状が出た。

身体に熱が溜まり、すこしけだるい。軽い頭痛。食欲減退。

それで、アイスノンを枕に早寝をしたら、事なきを得た。

昼過ぎの散歩が大好きなのだが・・・体がついて行けなかったようである。

散歩中、手製のハチミツレモンを300ccほど飲んだのだが、

帰ってきてから、熱が溜まり始めたようである。

今日も出かけたかったが、休息することにした。