これは、もう20年以上前に出た本です。当時すごい評判になった本でしたが、ボクは読みませんでした。
言葉の専門家になるつもりはないので、今のところ間に合っている、という気持ちでした。当時読みたい本は他にいろいろ有りました。
今回、彼女の日本語の相談に乗るには、もう少し、言葉に敏感にならなければならないような気がしている・・・自分は近頃かなり雑な言葉の使い方をしているというような思いがある・・・
(彼女になぜそれほど拘るのか、自分を振り返るに、大きな病気してから、終活でほとんどすべての知人にお別れを言い、更に、知っているのは姉一人というところに引っ越しをした、まあ死ぬ場所として。それから2年、病気との付き合い方を覚えて、すこし元気になったのだが、挨拶する相手も居ない。それで何の不自由も感じていなかったのだが、彼女から連絡をもらった途端に、嬉しさが弾けた。・・・。この感覚をコントロール下に置くことに、しばらく苦労したが、今は、多分大丈夫。
社会との狭い窓口なのである、蜘蛛の糸のようにしがみつきたくなるようなところも、ないわけではないのだが・・・。
老いるというのは、このしがみつきたくなるような思い、と言うより本能の叫びか・・・と、手放したいような気持ちとの葛藤、そして、決着がつかずにお任せする、祈りのような・・・生きているのだから決着がつくはずはないのだが・・・。)
それで、頭の片隅にあった、この本の評判を思い出し、古本を購入して読み始めた。
うむ。これはいい本だ!
まだ、ほんの40pほど読んだだけだが、感心する。
・・・・・・・まあ。この歳になったから、そういう感想になるのかも知れない。20年前だったら、さほどでもないかもしれない。
・・・とにかく、至る所錆びついていて、動きが悪い、そのことに気づかせてもらい、そこに油を垂らして(差して、でしょうね、蜘蛛の糸からの連想で、垂らしてなどと書きましたが)もらっているように感じる。