『日本語の起源』よみました。

インドの歴史の最初の頃に、アーリア人の南下のことが出てくる。また、仏教の歴史の中で、仏像が作られるようになると、仏教の守護神像の足下には、踏みつけられた悪鬼が描かれる。

この悪鬼が、土着の民、ドラヴィタ民である。

 

『日本語の起源』を読んでいて、この北インドから追い出されて、南下し、さらに海に出たであろうドラヴィダ人がその後どうなったかの一端が分かったような気がした。

東南アジア一帯に逃げ延び、一部は台湾・日本・朝鮮半島へ植民したらしい。

 

この、ドラヴィダ人に追われるようにして、東南アジアの人がまず日本に到来し、それからしばらくして、ドラヴィタ人がやってきた。

それからしばらくして、中国が、強大化して朝鮮半島・日本に影響し始める。

 

アメリカのフロンティアの時代のように、東へ東へと人の波が押し寄せたらしい。

日本はある意味行き止まりの地であったろう。

樺太・北海道の方からも、寒いから主流ではないかもしれないが、人は入り込んできたはずである。

 

この『日本語の起源』に書かれていることが、日本の学会の中では、未だに異端として、受け入れられていないらしいことは、不思議な気がする。

状況証拠では完全に黒のように思えるが・・・。

穀物栽培の技術とともにやってきたから確かに有力ではあった。しかし、もっと古い層がある、というのであろうか。

この本だけでは、受け入れられない理由は何も分からない。・・・

 

おそらくは、この辺の議論は、縄文時代後期、弥生時代前期にあたり、それ以前の縄文時代人が話していた言語が日本語の起源なのだという心証があり、受け入れがたいのだろう。

 

それは多分、あまり複雑ではない、仲間内にだけ通じる、単語中心の言葉だったのかも知れない。外部との話し合いの必要がないと、整合性の取れた長文は話す必要がないような気がする。

 

 

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