ボクは、『損はサトリ、得は迷い』と教えられて、原則的にソレだな。と納得して歩いてきた。
何もサトリたいのではないが、無意識のうちに、心の平安を”得たい”とは思ってきたようだ。
そういう意味では、やはり、得したいのでは?という自問もあるが。
先日、車の12か月点検を受けた際に、”スマホがあれば、ガソリンが9円安くなります。持ってないとは残念ですね。買い替えたらどうですか。”と言われた。・・・6か月点検の折にも言われた。これで二回目である。あの時は6円安くなるという事だったが、今回は9円。
9円も安くなるのか・・・すると、スマホを持っていないということが”損した”ような気がした。
得するチャンスをみすみす逃がしてしまっている!
一事が万事。いろんなところで、”何々すれば得ですよ”という声を聞いて久しい。
それをしないと、”損する”様な気がする。・・・何もしないでいると”損する”
何もしないでいると《損》・・・これは、《赤の女王仮説》に似ているなあ
「今のところに止まりたかったら、全力で走れ」
暴流にような時の流れに掉さすというのはそういう事だ!??
確かに、激流に掉さすのが面白い時もある。しかし、よどんだような凪いだところで昼寝をしたいときもある。そこでも一所懸命竿を操る気にはなれない。
ボクはある時、《欠伸の出る人生》というフレーズに目覚めた。
今や、90になっても働かなければならない時代だという。・・・何もしないで遊んでいては、肩身が狭い、のであろうか。居心地が悪いというのだろうか。
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民主主義の世の中のはずが、いつの間にか「赤の女王」の支配する、専制主義の国に替わってしまった。・・・
赤の女王とは誰だろうか・・・多分”金”である。
金が1g10,000円を超えた。10年前には、確か3,000円ぐらいだった。
10年前と同じものが、これほど高騰する。変動する。
損だ得だという世界ではこの変動がたまらないチャンスなのだろうが、
人生の価値基準としては如何なのだろうか???
ボクは、《赤の女王仮説》はあくまでも《仮説》である・・・《仮説にすぎない》と思っています。一番大事なのは《進化》なのか《未来》なのか《金》なのか、そうではないだろう。では《生身の生き物》なのか???・・・《何》なの?
いろいろ考えさせられます。