妄想を楽しむ

まず。何を妄想というか。妄想でないモノとは何か

そういうところから入っていくと、難しくなり、やがて、私の手には負えなくなりそうなので、こういう問いかけが、ありながら、それには直接触れない。

 

彼女はなぜ、こんなしょうもない年寄りの相手をしてくれるのか。なにか面白いことがあるのだろうか。そんなこと、なにもないだろうに。ただ、もともと優しい(スペイン語でamableアマーブレ)のかも知れない。・・・

ボクにとっては、それはそれは、嬉しい。なにしろ、すこし早とちりで、世間にさよならを言ってしまったので、相手をしてくれる人は誰も居ない。

新しい人間関係を築くエネルギーはなさそうである。そういうときに、古い知人が声をかけてきたのである。朋あり遠方より来る。

女性なので、ぼくは最初舞い上がってしまったが、今はかなり平静になっている。

我が身を振り返る余裕が出てきたという事である(これは他面、すこし寂しくもある。舞い上がったままでいられればそれはもっと楽しいではないか?)

 

次ぎ会うときは、何処に行こうか。何を食べようか。

他愛もないことを考えていると、一時間ぐらいあっと言う間に過ぎてしまう。

おかげで、近頃、本を手に取らない日も多い。・・・昔ラジオ放送で使ったスペイン語会話のテキストを開く機会や、忘れていた単語をノートに書く機会は多くなった。彼女へのe-mailを、スペイン語に書き直すのも楽しい(日本文を作り、部分的に翻訳機で翻訳し、辞書を引いて手直しし、日本文を書きなおし・・・結構時間が掛かる。ボクはスペイン語で書く、彼女には日本語で書いてもらう。すると、彼女の日本語を見て、ぼくのスペイン語も似たようなモノだろうと推測する。そこから、省略された、未知の心底を推し測る・・・そんなのわかりっこないのに。そのことを知っていて尚推し測らないではいられない・・・のも、楽しみである)

 

冷静になったというのは;彼女のことを思うと、体が熱くなり、いい気持ちになる。これは一体、如何いう事なんだ?・・・

ボクがまだ10代の時、ものを考え始めたのは、これに近かったのではなかったか。当時は、突然襲いかかってきた変化に戸惑い、翻弄され、克服する方法も分からなかった。平静に戻りたかったが、戻りたくもなかった。嫌だったが、嫌でもなかった。自分が分裂して、それがコントロールできない。

一体これはどういうことなんだ???

 

一事が万事で、いろいろなところで分裂を自覚した。別れてしまった心を、心で統一することは難しい。勉強もしていれば、一時忘れるが・・・スポーツはどうだろう。一時忘れているけれども・・・

 

一体何が起こっているのか。オレは何者なのか。

新しい変化を受け入れて、それに従っていれば何でもないことだったのだろうが、ボクはそうではなかった。

そこで立ち止まってしまった。新しい自分が嫌になり、この世の外に逃げようとし、それに失敗し、今度は、自己の正体を見極めようとした。

 

ほどほどで切り上げて、普通の生活は出来なかったのだろうか??確かに、7~8年(20代の)出来ると考えていた時もあった。しかし、無理だったな。

 

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かなり端折っても、長くなってしまった。これでは最後まで行けそうにない。最後というのは、妄想を楽しむというところなのだが・・・。あと、少なくとも同じくらいの長さかそれ以上書かないと、そこには至らないだろう・・・疲れてしまった。ここで中断。