昨日久しぶりに

電車で上野に行きました。

 

何か、外国に行ったようで、最初に駅で切符を買うことすら出来なかった。3台あるがどの機械を如何操作すれば切符が買えるものか

近くでスマホの画面を見ている女子高生にお願いして、助けてもらい

やっと切符を買うことが出来た。機械のまえに立つと明かりがついて、やり方を教えてくれるのであった。そういうことも分からないのである。浦島太郎だね。

 

上野の駅でまごまごしていて、ヒトの流れるままに改札を出た、アメヤ横丁近くに出た。沢山の人が歩いていたが、歩いている人の大半は外国人のようであった。道を聞くにも聞きにくい。

 

辺りの景色に見覚えのあるところはほとんどなく、何とか、木々の生えている辺りをめがけて歩いていき、

階段を上って、西郷さんの銅像の所に出た。知っているところに出てホッとした。

近くまで、たくさんの人が歩いていたのだが、西郷さんの近くには

ほとんど人が居なかった。

 

みんなスマホでマップを見ながら歩いていて、目印になる場所など必要ないのかも知れない。スマホを持たないボクの頭の中では、まず西郷さんを探し、そこから、国立科学博物館の方へ歩こう、と考えていた。

 

正岡子規記念球場の横を通り、銀杏を踏まないように注意しながら・・・科学博物館の近くの野口英世像の前まで行き、そこで写真を撮り

約束の10分ほど前になったので、待ち合わせ場所の、国立西洋美術館に行った。

 

ロダンの彫刻のある前庭には沢山の人が動いていて、果たして見つけられるかどうか

心配しながら、「地獄の門」の方に歩いて行ったとき、声をかけられた。

先方が先に見つけてくれた。

 

それから、近くの食堂に入り、コーヒーをのみながら、近況報告、芸術論に花が咲き

あっという間に1時間が過ぎた。彼は予定があると言ことで、あと1時間と区切って、話を続けたが、まだまだ話したりない様子。さらに15分ほど話し、駅に歩いて行って、帰りの電車を待つ間、更に15分ほど立ち話をした。

 

食堂の内装の一部

 

都合2時間半ほど話したが、あと、そのぐらいの時間が欲しいところであった。それでも足りないかもしれない

 

彼は抽象画家で、近頃は絵本を描いている。65歳になったという。今はリマに住んでいて、今回、母の100日法要に参加するために、5年ぶりぐらいで日本に帰ってきたのである。

近頃、今まで勉強したことがよくわかるようになり、いくらでも喋れるような気がしている、とのことであった。対面でしゃべる姿を見ていて、ある人を思い出した。伊藤貫さん。目を輝かせて、笑顔で一所懸命話す姿が。

 

かれを見ていて思った、ボクも65の頃は、まだペルーに出かけようという元気があったのだった。

 

まだ暗くなる前に帰ってきた。(もう暗くなってから車を走らせるのは、出来るだけ避けたいのである。)