固窮の節

この言葉の元になった話は:

孔子さまが数人の弟子を連れて、諸国遊説の旅に出た。その途中で

何度も難儀に遭うのだが、その最大の難。

軍隊に包囲されて、一週間ほど兵糧攻めにあうということがあった。

そのとき、弟子たちは立ち上がるのも困難なほど衰弱し、弟子の一人が

「君子でも窮することがあるのか」と孔子を詰った。

そのとき孔子

「君子固(もと)より窮す。(しかし)小人は窮すれば濫る」お前、しっかりせんか、と答えた。

 

君子だろうと誰だろうと、窮することはある。そういうときに、小人は取り乱してしまう。(君子は……。)

という言葉を、陶淵明は大切にして(座右の銘としてと言ってもいいか)

”固窮の節”と言っている。君子は節操あり、ということでしょうか。

確か、孔子は礼楽の練習をしていたとか言われる。これが彼の日常だったのでしょう。

 

ボクも70の坂をこえて、80の坂を目の前に見ている。

これを登れるだろうか。けっして険しいとは思わないのだが、もうボクに力がないからなあ。友もなく、お金もなく、健康もない。歯もない。たよりない。いくじもない。

まさに、窮したと言っていい。

 

誰も通る道だ。通るだけなら誰も通るのだ。淡々と通れるだろうか

如何じたばたしても通ってしまうのは分かっているのだが