『三国志』  9

第五冊の三分の二ほどの所である。

周瑜が病没し、大都督を拝命した魯粛が、孫権鳳雛先生を推薦する。(新しく任についた時には誰か補佐してくれるものを主君に推薦する、だから魯粛は彼を側近に加えたかったのだろうが・・・)

【見ると眉はこく鼻は上向き、顔は黒く薄ひげを生やし、一向に風采あがらぬ男である。一目で気に入らぬので・・・】p152 話は流れてしまった。

その後、魯粛から推薦され、劉備の元に行く。しかし、彼は推薦状を見せないで劉備に会う。

劉備もかれの風采のあがらぬさまには失望して・・・】都から130里ほども離れた県令にする。p154   

 

・・・今。映像(みてくれ)がかつてないほど重要になっているように思うかもしれないが、目から入る情報がとてつもなく重い、というのは、昔から(おそらくは目を持つ生きものの誕生以来)のことであるのがよくわかる。

たしか「見た目が9割」とかいう本があったと記憶するが、礼儀作法を守り、身だしなみを整えることは、最低必要なことのように思う。鳳雛先生は

世に入れられない時期が長く、拗ねているようなところがあったのかも知れない。相手から見られること以上に、相手を見ることを重視した・・・こういう偏りが生じてしまっていた。見ることを重んじたのなら、考え深く、自分も相手も同じように考えてしかるべきではなかったか・・・。

話を面白くするには(面白いのは面白いのだが)いいのかもしれないが、ちょっと残念な、出会いである。

 

・・・・・・

 

後の方で、確か張松とかいう蜀の外交官が出てくる。彼が、容貌が見にくく言葉に棘を含んでいるということで、曹操に軽くあしらわれてしまい・・・手ぶらで帰国もならずに、劉備の元を訪れる、という場面がある。

張松は外交官になるぐらいだから、辨は立つだろうに(だから自尊心も強い)・・・容貌の見にくいことで曹操の顔色が変わった(下に見るような)のを見て、言葉に棘を含むことになったものであろうか。(記憶がはっきりしないが、張松劉備が蜀王となった時、功労者なので、権力を傘に、以前自分を軽んじた者を殺しまくった のではなかったか)

 

やはり何らかのこだわりが個性なのだろうが・・・足元を見られてしまう・・・平和な時には見てほしいのかも知れないが、乱世では、欠点のようにも思える。こだわりは、狭量とつながるような・・・。