書道クラブ

今日が2回目の集まりであった。

<先生に教えを受ける>という事はこんなにも違うことなのか!!!

目から鱗が落ちるというが、ほんとうに!

 

ボクは、お寺の住職として、機会があれば筆を執って字を書いてきた。我流で。

それは、楷書で(自分で好きなので)、できれば教科書のような字を書きたいと思って、書いてきたのであった。時に、行書で書くことによって時間を短縮したいと思うこともあったけれども、行書は我流というわけには行かない。

 

ところが、此処で教えられるのは、自分らしい作品を書くという事である。

 

筆の持ち方・墨の付け方・文字の整え方・など。初めて聞く事ばかりであった。

 

たとえば筆は、垂直に立てて持つ、と思っていたのだが、前に45度倒して持つ。そして指を使って筆を回転させていろんな線をだせるように、あやつる。

墨は、字の途中で付けない(ボクは、楷書の場合、一字の中で何回つけてもいいと思っていたのだが、そうではない。ということは、ぼくの筆の運びは遅すぎる、それでは途中で墨がなくなってカスレてしまう、それよりもなによりも、生きた線が出ないという事のようである。)

文字は、中心線がすこし、左斜め上から右下に傾くように書く。扁と旁、文字の上の部分と下の部分の大きさなどに変化を持たせて、文字としてのバランスをとる。一字の中に、生と死をうまく使う。生とはカスレ、死とは滲みのことのようである。などなど

 

習い始めから、”自分の作品、ということを意識して、いろんなことに気を配り、神経を集中して書く。”ということである。単に字の練習をしているのではない。

 

練習して上手くなる、というのではなく、其の時その時が、自分の作品を創る、という事なのである。下手は下手なりに。

目的が、全然違うのである

 

 

なるほど。なるほど。