前回は、30回をみたころにコメントしたのだが、今回は60回ぐらいまで見たので、つづきを書こう。
主役の始皇帝を演じている役者は、『三体 シーズン1は、45分×30回』の主役と同一人物だろうか?
ボクはそういう事には疎いので、分りかねるが、かなり似ているように思う。まあ、面長の殿さま顔というのだろうか。
ボクが史記などを通して読んだのは、ずいぶん昔だし、忘れっぽくなっているので自信が持てないのだが、呂不韋の自殺は、荀彧などと同じように、皇帝から死を賜った、と記憶していた。しかし、このドラマでは、韓非子の策略ということになる。ここに韓非子が絡んでいるとは、想像したこともなかった。
経緯がどうだったのかは、誰にも分からないところなのだろうが、財力・権力をもったまま無冠でいることは至難であり、様々な利害の絡み合う中で、自殺したことだけは確かなのであろう。
現実の韓非子は話すのがかなり苦手であったらしいが、ドラマの中では、能弁ではないが、訥弁という程度である。かなり聞き取りにくい話し方ではある。そういう欠点があるが、現実の政治の中で、かなり嘱望され活動していたようである。ぼくは、現実には、学者のような立場にいたのだろうと、勝手に想像していた。韓非子の死も、本を読んだときに思っていたこととはずいぶん違う。こういう解釈の余地はあるんだ、と思いながら見ている。
様々な利害が絡み合い、事態が予想外な方向に展開したり、飽きないドラマである。
主人公は、平和で安全な社会を実現したいと願って、天下統一へひた走っているようだが、やっていることは他国の破壊であり、住民の生活の蹂躙である。そして、秦法で洗脳して、過去を忘れて、おとなしい人にならせようと。
プラトンにすこし近いかもしれない。頭で考えると、結局そういうことなのであろう。しかし、人間は、それでおとなしくしていられるものなのか。
天国に行ったら、永遠に退屈な人生が続く、それは地獄の拷問とどれほどの違いがあるのか、とむかし何かの本で読んだことがあるが、それを思い出す。
ま。昨日のことは一晩寝れば忘れてしまうなら、耐えられるかな。
なんか、現実のアメリカのあり様とだぶり、大国の意識というのは、いつもそういうものなのかもしれないですね。
字幕の文字におかしなところが見受けられるので、時に目が止まってしまうことはあるが、内容が全て理解できるわけではないので、まあ、許容範囲かな。
数人の女の人が、なかなか好演しているのが目に付く。自己中心的ながら、相当したたか、知恵が回る。男に負けていないどころか、上手を行く。
人物では、敵役の趙の王と奥方、丞相が、なかなか面白い、生彩がある。
今年はサギソウは数が少ないまま、終わりそうです。暑すぎたのでしょうか。
今日の散歩では、池に釣り糸を垂れているあるおじいさんの傍、2メートルぐらいのところでじっと佇んでいるシラサギが、印象的でした。この前とは違う場所なのですが、人と鷺は同じなのでしょね。