寒い日は寝転がって読書ですね(31日に追記)

『AIは人類を駆逐するのか』(幻冬舎新書

なかなか刺激的なタイトルです。内容は、聞きかじっている話題が、よく整理される、という方向でしょうか。もう少しで読み終わる。

 

第4章 22世紀は自律する頭脳と共存する時代になる には、ちょっと刺激的な。明るい(???)未来が描かれている。(人間だけの未来では、とてもこんな楽観的な世界は想像も出来ません)

今までロボットやAIが出てくるSFでは、彼らのせいで悲惨な、未来が描かれることが多かったような気がします。戦後間もなくの頃は、ある意味楽観的なものも散見されましたが。

このようなある意味手放しの、バラ色の未来像を見るのは初めてかもしれません。バラ色とはいえ、そこでは否応なしに人間自身が変化を余儀なくされていくでしょうが・・・

 

『資本主義と奴隷制』(ちくま学芸文庫

これは、ボクの勘違いで購入してしまった本である。ボクは、資本主義は奴隷制の別名ではないか、というような方向で考えていたのだが、そうではなく・・・資本主義は奴隷制とセットで発展してきたという・・・トクヴィルの見ていた”アメリカの未来”を思い出します。

書かれたのも、1944年と古い。勘違いで買ってしまったが、読み始めると、なるほどなと、思わせられる。年を越して読み継ぐことになりそうである。

 

『脳の風景』(ちくま選書)この前藤田一郎さんの本を読んで面白かったので購入。この前よりレベルが高いというか・・・

 

『集中講義 大乗仏教』(NHK出版)・・・こうしてブッダの教えは変容した・・・という言葉に惹かれて購入。

 

他にも読んでいるが、とりあえず新しく購入した分。(近頃は新本を購入することが多い。というのも、古本の値段が上がり、古本を買うメリットが感じられなくなってきているからである。)

 

心臓の調子も、ほぼ平常に戻っている。寒い時期は無理をしないようにしようと思う。

春になってから、庭に小さな菜園を作ろうかと思っているが。春になってみなければ何とも言えない。

 

今年はこれでお終い。よいお年を。合掌

 

 

 

大人しく読書です

『脳はなにを見ているのか』読み終わりました。

第五章、第六章は、やはり私には難しかったが、全体を通して、面白く読めました。

心がモノを見ている、とは思っていても、その細かいところは想像できませんでしたが、朧げに分かってきました。

最後の方で「将来、鉄腕アトムを作ることができるか」という問いが出てきた。

これは、ほんの数ページだが、アイザック・アシモフのロボットシリーズのテーマとも重なって、なかなか興味深い。

すこし前に読んだ『ヒトの目、驚異の進化』も、文章がすこし読みにくかったのですが、内容は興味深かった。

 

生命のない物質のなかに、生命を吹き込む不思議な力が宿っている(エーテル)・・・という考えは、たしか18世紀ごろに否定されたのだが・・・鉄腕アトムを創り出すことが可能かどうか、という話になると、似たような考え方が復活する可能性はあるのだろうか

 

最近は、こういう分野のことは飛躍的に分かってきているようで、一般人にも分かりやすく、出来るだけ正確に、書いてくれる人がもう少し(あと数人)増えてくることを期待したい。

 

・・・・・・

 

今朝は寒かった。此処は雪には縁がなさそうだが、そうとう冷え込む。風も冷たい。

 

 

 

 

 

 

昨日から落ち着いてきている

また寒くなりそうなので、温かくしようと思う。

やっと落ち着いてきているノダ。

 

正月を前に、部屋の中だけでも片づけをしたいのだが・・・

今は午前中だけ動いている。

外は、片付いていないまま年を越しそうである。

・・・せめて落ち葉だけでも掃こうと思うが。

 

宮崎市定さんの『中国文明論集』(岩波文庫)はなかなか面白い。これもかなり前に読んだ本だが、今回、この本の中の「六朝隋唐の社会」と「宋代文化の一面」だけを再読した。

この次の「竜の爪は何本か」というのも面白かった、記憶している。というのも、お寺では本堂の天井に竜が描かれたり、柱巻に竜が描かれたり、竜が好まれている。その日本の竜は爪が三本である・・・ので。が、今回は読まなかった。

これは宋の時代の話で・・・いま読んでいるのは、六朝から隋唐の話であるから・・・。

 

話は逸れるが、台湾のドラマ「開封府」は、宋の仁宗の時代を扱っているのだが、皇帝の力はあんなにも弱く、立場はあんなにも危うかったのか?と気になる。宋の頃には、貴族階級は没落し、科挙の制度が整い、皇帝の力が増していたとばかり思っていた・・・。

 

・・・・

 

「紅麹 コレステヘルプ」を買ってみた。高い。お医者さんの言うとおりだ。薬を貰えばずっと安い・・・。しかし、

まだまだ自分の病気の正体が分からなかった時に、飲んで、その副作用に過剰に反応して断ってしまったからなあ。・・・

高いので、続けるつもりはない。試してみるだけである。

 

自分はどういう病気にかかっているのか・・・これは、簡単には分からないことが多いのかも知れない。先生が病名をつける時でも、曖昧なのかも。しかし、受け取る患者側は、病名を確定したものとして、それをもとに考えてしまう・・・

 

「日本人」というのも、そんなものはいるのかどうか・・・外国人と比較しての「日本人」だろうが・・・それは国を前提にしての言葉だろうか・・・

 

話があちこちするが・・・名前と実態はすこしズレていることは、ときどき思い出さないといけないような気がする。余りにも言葉の中で生きているので、そのことを忘れてしまっている。

しかし、病気の実態が分かり始める・・・その分かり始めるというのも、言葉や数値なしには難しい。感じだけでは一歩も進まない・・・

何処まで行っても「言葉」が付いてきそうだけれども。

 

 

 

 

狭心症のこと

一昨日の真夜中、目が覚めた時、はげしい動悸があり、手の指先までドキドキしていたが、それがしばらく続いた。

はじめてこういうことが起こった時、ボクは動転してしまい救急車を呼んだことを思い出したが

今回は様子を見ることにした。

・・・いつものように脈は跳ぶ。胸(鳩尾辺り)に圧迫感がある。

 

夜が明けてから病院に行くことにした。

前の病院から渡された資料を持ち、病院に出かけた。おそろしい混みようで少し心配になったが、1時間半ほどで、検査をすることになり、主治医の診察を受けたのは2時間ぐらい経ってからであろうか。

 

若い先生である。

前の主治医は、冠攣縮性狭心症を疑っていたようだが・・・といいながら、いろいろ説明してくれた。心電図、レントゲン写真ともに異常は認められない。血液検査の結果は、全部そろうのは明日になりますので、あすもう一度来てください。

 

ということで、家に帰って「冠攣縮性狭心症かんれんしゅくせいきょうしんしょう」についてネットで色々調べてみた。この日までボクは少し違和感がありながら、労作性狭心症だと思っていたのである。しかし調べて見ると、この冠攣縮性狭心症の症状が自分に近いように感じる。安静時に発作が起こることなど・・・これは結構ヤバそうだなあ

 

寒さとかストレスとかがよくないと書かれてある。

どうやら、激しい動悸が起こったのは寒いところで長時間寒さを我慢していたのが引き金になったようである。それで、ピアノ教室に寝起きするのは春まで延期して、前の部屋に戻ることにした。ピアノ教室では石油ストーブを使っていたが、前の部屋ではエアコンが使える。

 

今日、診察を受けて、ボクの症状はまだ大したことはないような感触であった。境界線すれすれのところで、いろいろ起こっているような・・・。

例えば、コレステロール値は、LDLの値をHDLの値で割った数値が、1.5以下が望ましいが、ボクの場合は2.1。3以上だと問題だが、今のところ許容できる。

実は前の主治医はこれを下げようとして薬を処方していたらしいのだが、ボクが拒絶していた(酔ったような症状・・・多分身体が熱を帯びるのだろう・・・が出るので止めたいと言って)・・・これは我慢すべきだったのかも知れない。

 

その他いろいろ。この若い先生は、丁寧に教えてくれるので

ボクが気になっている”脈が跳ぶこと”を話したら

それは「期外収縮」というらしく、一日に何千回も起るなら問題だが、それほどでないなら気にしないでいい。それは心臓の問題ではないと。・・・ボクの場合は、そんなに長時間脈を取っていたことはないのだが、数分間から推測するに、多分1000回以内だろうと思うので この心配はしばらく忘れることにした。

 

心臓というのは、大事だからだろうが、(気にし始めると)少しの異常も気になる。これを過大にも過小にも評価しないで、淡々と対処するのは難しそうである。

 

考えて見るに、最初の発作は、去年の1月下旬であった。今回は、急に寒くなった12月20日。・・・冬が要注意の時期のようである。

 

 

 

 

此処は寒いなあ

鳥取の冬は、曇り空の時が多く、暗い感じだったが、気温は高かったように思う。

湿度も高く、呼吸は楽だった・・・

霜柱の立つ日はほとんどなかった。ただ雪に閉じ込められたときは、日中でも気温が上がらず、底冷えのするような感じはしたのだが、近年はそういう日が少なくなっていた。

 

此処は、この2日ほどだが、かなり高い霜柱が立ち氷が張っていた、朝から太陽が顔を出し、日中は日向は暖かい。が、日陰は1日中霜柱が融けない。歩いていると風は冷たい。

・・・昨晩は一晩中月が見えていた(ボクの住んでいるところからは、街灯も多く、星はあまりたくさんは見えない)が、鳥取ではこういうことは珍しかったような記憶がある(いつも雲が流れていたような)。

 

・・・・

 

先日近くのスーパーマーケットまで歩いてみた。往復2.5㌔ほど。ずっと舗装された道なので、すこし足首が痛くなった・・・舗装されてない道を歩きたいが・・・見つけたとしても、そういう車の通らない道にはおそらくは陽が射さないだろうなあ(近くの公園の中をグルグル歩けばいいかもしれない・・・とも思う、歩いてみると1,2mの高低差が作ってある。一周300mぐらいかな

1.5㌔ほど先にかなり大きな池があり、いま、たくさんの白鳥が見られるのだが(先日傍を車で通った)そこを一周すると2キロ近くになりそうだ・・・往復5㌔・・・少し長いような気がする。かといって、車で行って近くに止め、歩いてから、また車で帰るというのも面白くない。(・・・そういうことを言っている場合ではないかもしれない)

 

幾つかのコースはありそうだ

 

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まだ12月である。鳥取は、1月から2月中頃までが一番寒かった。ここも同じだとすると、寒さはまだ始まったばかりである。

 

 

 

 

『中国の歴史3 魏晋南北朝』読みました。

これはこれで面白いです。が、宗教関係がまったく無視されているのが、気になる。

因みに、『世界の歴史4 唐とインド』(中公文庫)は、塚本善隆さんの書かれた本だが、ここには仏教関係の記述が溢れている。これほどではなくても、まったく触れないというのは、一般書としてはどうなのだろうか、と。

 

南北朝、隋唐は仏教が社会の各層に浸透し、その文化が、時代文化の先頭をきって、建築、絵画、彫刻、音楽等々あらゆる芸術の世界を仏教色でぬりつぶしていく。南

北朝隋唐時代の理解は、仏教を無視しては不可能である】P113

とは塚本善隆さんの言葉である。

 

この数百年には、人材登用の方法として、科挙が生まれてくるまでのくるしみのようなものが、感じられる(描かれている)。

貴族階級が生まれ、退廃してゆく。外戚、宦官、権力者一族・同族の争い。権力をめぐっての果てしない闘争。漢族と異民族との闘争と同化。・・・

 

引き続き、『世界の歴史7 大唐帝国』(河出文庫宮崎市定さんの本の続きを読もうとしている。同時に、塚本善隆さんの本の続きも。

 

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・・・・親父は、ドラマ『鬼平犯科帳』を何度も見ていたらしい。それも、同じ話を何度でも。・・・ボクも、似たようなものだ。

この時代に関する本を、そうとう読んでいる。そして読み始めて50年になろうというのに、まだ飽きないで、同じ本を読んでいる。

読みはちっとも深まって居ないだろう(読む傍から忘れる)と思うが、相変わらず、興味深い思いを抱いて読んでいる。

 

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ここに移って1か月が過ぎた。・・・まだ一度も散歩をしていない。

人が多すぎる。車も多い。・・・ゆっくり歩ける場所を探すには、まず歩き回って見なければならないのだが・・・。

 

 

 

 

 

 

読書

『中国の歴史 魏晋南北朝

ちょうど真ん中あたり。劉裕の生い立ちについて述べているところを読んでいる。

これを読んでいて、陶淵明のことを思い出した。

 

この本では、劉裕は、肯定的に書かれている。

北から逃れて来た貴族たちが南の低開発地域を牛耳っている。・・・そういう時代に、劉裕も北から落ちてきたものの末裔だが、貴族ではない。貧しい兵士から、たたきあげでのし上がった一介の武人である。

そういう者が力をつけてきた、そういう新しい時代の先駆者としてだろうか。

 

陶淵明の本では、劉裕は、油断のならない権力者として、どちらかと言えば否定的に書かれていたと記憶する。それは、陶淵明の目にはそう映っていたということか。

陶淵明の詩にはそうとう難解なものが有り、それには権力者とか時世の批判が込められている、と書かれていたような・・・

 

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根を詰めないようにしているので、遅々として進まないのだが、なかなか面白い。

ボクはこの本を、50年前に、一回最後まで読んだのだろうか???

 

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