仏像

を見ていて、

三国志の、劉備は、耳が肩まで垂れている、と書かれていることを思い出した。

これは、如来像に似ている。また、たしか

手は膝まで届くのではなかったか。これも、如来像の特徴ではなかったか。

 

劉備は異相の持ち主ということになっているが・・・たしか、野党の政治家で耳が目立って大きい人が居たような記憶があるが・・・

 

・・・三国志演義が書かれたのは、明の時代であった。あの頃には仏教は一般教養であったろう。元や明の時代には、確か科挙の制度がなく、一流教養人が政治家になったり官吏になったりするよりも、小説を書いたと、どこかで読んだ記憶がある。

あれだけ面白いのも分かるような気がする。

 

・・・・・・

 

『仏像彫刻のすすめ』をすこしづつ読んでいる。・・・同じものを10個作る。その作業の中で、どのときにどう使うかが分かり、刀が手と同じように使えるようになる。それが第一歩と書かれてある。

職人ということについて、あらためて目を開かせてもらった気がする。