何ともやりきれない思いである。
何処でどう間違ってしまったのか・・・・
人生で躓いた時に、もう一度歩き出すには、少し時間が掛かる場合が多い。
その時には、自分から助けを求める人も居るだろうが、大抵は、問題が何処にあるのかも分からない(倒れた自覚もないかもしれない)ので、助けを求めることは難しいように思う。
悶々として閉じこもっている時、家族ほど煩わしいものはいない。何も言われなくても、存在そのものが煩わしい。本人にとってもそうだろうが、家族にとってもそうであろう。(両親を頼るとは、下の下の策でしたね)
だから、危ない・今のままではダメだと感じたら、とにかく、まず家を出る。これが一番大事な決断だとボクは思う。
(母親のもとで依存心が強くなり、自分を信じることが出来なくなってしまいましたね。)
家を出て、頭を冷やして、力を蓄える。自分の力だけが梃子の支点になる。
貧乏人にはなかなか難しい、なにしろ生活するために働かなければならないから。
・・・働いているうちに、自然に問題が解消することも少なくないと聞く。(問題の解決というのは、問の答えが見つかるという形を取るよりも、問題が消えてなくなる、ということであろう。問いが問いとして自覚されるようなものではないことが多いだろう。他人に認められたり、恋人が出来たりすることで、問題が消えることが多いだろう)
問題が煮詰まってしまい、仕事を続けるのが難しくなってきたりした時には、一昔前には、お寺に話を聞きに行く、などということがあったのだが、今は如何なのだろうか。
とにかく、彼の場合、自衛隊にもう少し長く留まることは出来なかったのかと思う。半年過ぎれば、自分の時間はいくらでもあるのだから。
ただ、いじめはどの世界でもあるので、何とも言えない。お坊さんの世界でも例外ではない。
・・・彼は其処でもいじめられたのだろうか。
残念である。やってしまったことは余りにも重い。しばらくは冷静でいられないだろう。・・・懺悔の日々の中で、他日、冷静さが戻る時があれば、ボタンを掛けなおすことが出来るかもしれない。 合掌