『大東亜戦争肯定論』林房雄著 2

500pの内370pほど読み進んだ。なかなか面白く、残りのpが少なくなってきて、ちょっと寂しい気もしている。

 

1945年日本の百年戦争が終わり、日本は休息に入った。これからは、中国が、植民地解放戦争の続きをやってくれるのではないかと、期待しているような言葉が見えるが・・・それはどうだろうか。

 

この本では、アメリカ・ソ連・中国の三つ巴の世界がしばらく続くことが考えられているが・・・(確かに、そんな時代がありましたね)

今は、アメリカ・ロシア・中国・EU・インド・・・もっと多極化が進んでいる。

 

侵略・防衛戦争というのも、植民地支配というところから、ずいぶん様変わりしているように見えるのだが・・・本当のところはどうなのだろうか。

 

この本を読んでいて、沢山の人名・固有名詞に出あった。知っていた名前も少なくないが、初めてというものもそれ以上に多かった。ここに書かれるという事は、その時代では一角の人物であったのだろう。

 

明治維新のドラマなどを見ると、資金集めに目を覆うようなことをしたり、酒ばっかり飲んでいたり、志士というのも、明日の命がどうなっているか知らない、命知らず。いばば無敵の人が多かっただろうから、やむを得ないのかも知れないが、

見ている分には好いがお近づきにはなりたくない人たち、である。

ここに出てくる”国事に奔走する人”というのは、だいたいそういう人なのであろうなあ

此処に出てくる人たちだけではなく、国事に奔走する人というのは、多かれ少なかれ、似たようなものなのかも知れない。

この世界の観方というのが似ているだろうから。

 

負けて、完全に牙を抜かれて、恋愛や出産・育児以上に意味のあることを知らないボクたちからは、ウクライナのことを思えば直ぐ隣にある世界なのだが、

現在とは完全に切り離された過去、のように見える。

 

過去が現在と切り離されてあるはずはないのだが、そのように見える、見えてしまう。

ボクたちの世界には、国事は直接関係しないからか・・・

民主主義と言いながら、本当に大事なことは、ボクたちとは無関係に決定されていると感じているからかな。

 

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リマでバスに乗っていて、時々制服を着た兵隊さんに出会った。飛行場に接続する道路わきには、戦闘機や戦車などが飾られていた。

・・・まあ。ボクの住んでいる近くに基地がないというだけのことなのかもしれないが・・・

茨城空港には、駐車場から空港へ行く道路わきに、戦闘機が2機か3機か飾られている。・・・北陸道を走っていて小松基地近くを通ると、よく戦闘機の集団が轟音を残して通過するのを見たな・・・やはり単に近くに住んでいないというだけかも。

 

安全と平和。これは有難い。その有難さを失ってから知る、という事にはなってほしくない。

 

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ところで;この本を読んでいて、アメリカの日本に対するやり方が、今、ロシアに向けられているように感じるのは、ボクだけではないだろう。ロシアとしては、イスラエルとイランの間に、何か起こることは、願ってもないことなのだろうか???

日本では、イランの外相が日本を訪れたこと以外、ほとんど報道されていないようだが、どういう様子なのだろうか。

 

原発処理水の海洋放出について、石平さんが、靖国参拝のカードが、安倍総理が死んで、あまり利かなくなってきているので、これで、岸田さんに対しても、更に30年ぐらい役に立つカードを手にしたと考えている。というようなことを言っていたが、なるほどねー。

 

アメリカも、こうと決めたらとことんやるが、中国も、そうなのだなあ、と思う。間の、フィリピン人、台湾人、日本人、韓国人は、これからも、大変だ。