『心臓リハビリテーション』

確かに、ボクは心臓の病気を抱えている。しかし、これは、年齢相応のことであろうと考えている。だから、”良くなろうとか、どうしよう”と思ったことはない。不整脈は気持ちのいいものではないので、心臓の動悸を気にせずに日送りができればいいと思っているに過ぎない。(でも、不整脈に薬を使った時点で、良くなろうと思ったこととどれほどの違いがあるというのか)

 

しかし、かかりつけの医者はそうは思っていないようで、ボクは立派な患者にされつつあるようだ。今ならまだ、心臓リハビリテーションによって健康寿命を延ばせる、とでも考えているのではないだろうか。医者の立場からは、医者の責任も有り、ボク(本人)とは、また別に見えているのであろう。

 

親切は有難いが・・・医者を変えようかとも思う。が、どこに行っても、同じだろうなあ、とも思う。医者というのはそういうもので、医者に行った時点で、それと付き合わざるを得ないのだ、と。・・・医者通いを止めてもいいが。そうすると、薬がなくなるので、不整脈と向き合う元気が必要だという事なのだが・・・。

 

何時までできるかは分からないのだが、散歩をし、近頃始めた太極拳を踊り、此れも近頃始めた書を書き、庭木の手入れをして・・・・自然に衰えて、軟着陸ができればいいなあ、と。まあ。そうは問屋が卸してはくれないかもしれないとは思うが。

老化は突然やってくると言う事だから。

 

老人は誰も、こんな悩みを持っているのだろうか。

自分の決断を先延ばしするたびに、患者になってしまうのか。深みにはまってゆくのか。・・・仏さんにお任せのはずが、お医者さまにお任せになって行ってしまうのか