母に愛されなかった子

お釈迦さまもそうである。たしか道元禅師もそうでなかったか。

太宰治もそうだったような。

おそらく徳川歴代の大名などもそうではなかったか

早いうちから母と切り離され、乳母によって育てられる・・・

 

心のよりどころが、たよりない。気になってしょうがない。

確かめずにはおられない。不安や猜疑心に悩むことが多い・・・

漱石は小心翼々だったというが・・・

 

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そういう不安から最終的に脱却し、安心を得られたとしても、長い間の歪みや

癖は、簡単には消えない。人格円満とはならない。深く刻まれてしまっている。

まあ。悟りおわれば只の人ということだろうが。

 

そういう意味では、ゲゲゲの鬼太郎などは、妖怪だから克服できたのであって、少しでも人間らしかったら・・・ねずみ男のようなことになるのだろうか

 

・・・・・お釈迦さまは特別だろう。普通はクセの強い羅漢様。

 

 

山上容疑者も、人間関係を築くことが出来ないままで、落ち着くことが出来たなら・・・しかし、人間関係を築くことが難しくて、人間社会の中で生きてゆくのはなかなか大変だろう。どうして落ち着けるのか・・・

 

人は無くて七癖という。無くすのは難しいのだろう。新しい癖をつけて、覆い隠すのが一番だろか。

私の家内は、いつも笑顔であったが、それはいつも笑顔の親友から、「笑顔は七難を隠すという。お前は美人じゃないのだからいつも笑顔を心がけなさい」と、母から教えられたのだという話を聞いて、自分も実践してきたのだと。

仏教では「オンにこにこ腹立てまいぞソワカ」という。そういう教えがあるのは、腹を立てるということが三毒の一つに数えられているからなのだが、それは、そもそも人は腹を立てやすいからなのだろう・・・腹を立てても碌なことにはならない。

しかし、腹立たしい事は次々起こる・・・ま、呪文を唱えるしかないではないか。

オン ニコニコ ハラタテマイゾ ソワカ

呪文を唱えると、不思議と落ち着く。

 

母に愛されない子の話から、ずいぶん離れてしまった。

歳をとると、あれ、何の話をしていたんだっけ、と思うことが増える。

今回もそうだな。・・・ここで終わる。

 

 

 

 

 

『漱石 母に愛されなかった子』

読み終わりました。一気に読んでしまった、といっていい。

考えさせられました。面白かった。

内容については、何処かで似たようなことを聞いた記憶があるので、作者のこの本、この見方は、これは案外有名なのかもしれません。

 

あの「山上容疑者」の事をしばしば思い出しながら、読みました。彼はドストエフスキーの作品のいくつかを読んでいたようだが、三浦雅士はどうだろうか。読んだから如何だということではないのだが。

 

本の最後の頃になって、漱石の則天去私は華厳思想に近かったのかも知れないな、と思いました。事々無碍法界。

 

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今日は暑かった。散歩に出かけようとして、躊躇されました。

おかげで読書が進んだともいえますが。

 

 

 

『漱石 母に愛されなかった子』(岩波新書)

母に愛されなかった。この言葉が気になって、読んでみることにした。

母に愛されなかった人は多い。愛された人と同じぐらいいるのではないか。

愛されたかどうか、は、きわめて主観的なことのようにも思う。主観的には、ボクも愛されていなかったと思っている。

 

しかし、この間から話題になっている「山上容疑者」をはじめ、客観的にも、愛されなかった人々が、現代では注目されている。

その延長上の読書ではないけれど、というのも、もともと漱石はかなり読んでいた、といっても、漢詩や短文、講演の筆記などが多かったのだが(小説は、3つほどしか読んでいないかな)

確か、江藤淳さんの書かれた漱石の評伝では、「兄嫁」がキーワードだったような記憶がある。「母」が注目されるのは、今回が初めてだろうか

それと、買ったけれども読んでいない『日本語が亡びるとき』(ちくま文庫)。この本をぱらぱら捲っていた時に、かなり後の方に、今、漱石が生きていたら、日本語で小説を書こうとするだろうか、というような意味の言葉があり、目に付いた。

確かに、あの時代だから、ああいう小説を書いたが、いまなら全く違う問題意識を持つだろうから・・・しかし、母に愛されるかどうかは時代を超越している問題だから、今でもやはり小説は書こうとするかもしれない。・・・それは、何語であろうか

ボクは、一番根源的なところに触れるのは、日本人にはやはり日本語だろうと思うので、日本語で書くはずだと思うけれども・・・・。客観視したいなら英語かも。

 

・・・・・まあ。いろいろ考えることもあり、興味が湧いて、手に取っているわけです。

 

まだ半分も読んでないのだが、面白い。だんだん面白くなってきた。

 

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近頃思う事

『神のいない世界の歩き方』半分ほど読んだ。続きはしばらくお休み。

 

日本国憲法』(岩波文庫)を読もうかと思って、しばしば手に取るのだが、なかなかページを開くところまで行かない。

憲法に手を入れると、改悪になる可能性が大きいように思うのだが、今のままではいけないような気もするし・・・

アメリカがあまり頼りにならなくなってきているこの時期に九条に触るのはどうなのだろうか。

 

ボクの歴史認識はズレている可能性が大きいのだが;

たしか朝鮮半島で統一が実現していないということは、朝鮮戦争はまだ終結していないということである。すると、極東の軍事(政治)にはアメリカが大きく係わっている。ところが、そのアメリカは没落しつつあるので、日本に多くを肩代わりさせたいと思っている。しかし、老齢化社会の日本は、とてもそれを引き受けるのは無理である。

そういう時に、ウクライナ問題が起こり、緊張が高まっている。

 

こういう時に、自衛のための軍隊を持つことを宣言することは、どうなのだろうか。

アメリカは喜ぶだろうが、日本の平和は却って危うくなるのではないのか。

日本は対ロシアだけを想定しても、中国も北朝鮮も緊張するだろうし、ただ単に極東の緊張を高めるだけで、平和を確保することにはならないのではないのか。

 

経済の事しか考えない人も多いようだから、経済的効果ということでは、しばらく日本は潤うということでもあるのだろうか・・・知識のないボクには分からない。

一部が潤い、多くが貧しくなる未来しか見えないのだが・・・

 

長い間、政治には無関心で生きてきたのだが、ここに来て、少しだけ、気になりだした。次の世代に、何を残すつもりなのか、何を残したいか。

 

 

 

 

 

ミンミンゼミが鳴きだした

これは、例年よりすこし早くないか

数日前にアブラゼミが鳴きはじめたと思ったらもうミンミンとは。

 

何もしないでじっとしているだけで、汗が流れる。

朝から冷房のお世話になる。

 

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『神のいない世界の歩き方」(早川ノンフィクション文庫)

リチャード・ドーキンスさんの本である。

『さらば、神よ』という本の、子供版らしい。

 

確かに、歴史は、宗教の汚点で汚されている。満ち溢れているといっていい。

『さらば、神よ』と言いたくもなる。

 

しかし、ボクは、

ドーキンスと論争をした J・グールドの味方をして、宗教にも場所を提供したい方である。

一神教的というか原理主義的というか、これが絶対で他はダメと言うのは、どうも人間を狭くしてしまうような気がする。それが科学的思考であっても。

科学的思考というのは、訓練されて初めて身に付く。誰もが訓練を喜ぶとは限らない。

強制するのはどうなんだろうか。

 

ドーキンスさんの本はほとんど読んでない。途中で投げてしまうことが多かった。かれの饒舌(博覧強記といっていいのでは)に辟易してしまい、後が続かないのである。今回はどうだろうか。

 

 

 

 

ドラマ『破氷行動 ドラッグウォーズ』全48回

なかなか面白い、一気に見た。と言っても、40分で48回ですから、1週間ほどかかりました。

日本のドラマはほとんど、最後のところで、‹フィクションで現実とは関係ありません›と言い訳をしているが、この中国のドラマは、最初に、〈事実を基にしたドラマである〉、と書いている。堂々としています。

これだけでも、興味深いですね。

 

覚せい剤密売組織と公安警察の戦い、と言ってしまえば簡単なのだが、その背景、とか、戦い方とか、血のつながりが、一族と親子という形で絡んできて、いろいろ考えさせられる。

 

現代中国の映画を見たことがなかったので、俳優の動作・仕草に最初違和感が大きく、慣れるのに少し時間が掛かった。

 

貧乏から抜け出すために、町をあげて覚せい剤の製造をする。それを摘発しようとするのだが、なかなか難しい。その鉄壁の守りを打ち砕いてゆくのだが・・・

南米の麻薬戦争がどんなものなのか、ある程度似ているのだろうなあ、などとも考えさせられる。

人口二万人の田舎町でも団結してしまうと、これほど強固な要塞のような守り。

南米のニュースは、警察が負けてしまった話(覚せい剤が合法化される)が多いけれど、組織の規模が違うのだろうね。

このドラマは、多くの犠牲を出しながらだが、覚せい剤製造拠点・販路を壊滅状態にすることに成功した話である。

国策映画かも知れない。

中国はイギリス人に痛めつけられて以来、麻薬とは長い戦いを強いられているのかな。

 

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今日は久々に暑かった。少しだけ、伸びすぎた草を刈った。雑草が余りにも多すぎて、抜くのは諦めた。とても追いつかない。それで、鎌で刈って胡麻化している。

 

 

 

 

『推定脅威』未須本有生

帯封に、「松本清張賞受賞」とある。また、国産航空サスペンスの最高峰 と。

 

新しく採用された国産の練習機(であると同時に新しい戦闘機が決まるまでのつなぎの役も果たせる戦闘機として開発されたTF-1)をめぐっての話である。

航空オタク向きかな、と思わないでもないが、ボクのような何も知らない者が読んでも面白い。著者は、実際に航空機の設計に携わっていたことのある人。

 

へ~。こんな小説が文庫になる時代なんだ、と思う。

 

面白かったので、第二作目の『リヴィジョンA』も読んでみようと思っている。

 

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人間は、どれほどの偉人でも、家庭内ではタダのお父さんであったりお母さんであったり、兄であったり妹であったり、屁もするし・・・尊敬されるとは限らない。今の時代、情報が多すぎて著名人は誰もが疑似的身内のようなところがあるから細かい粗が見えすぎる・・・。

同時代の歴史は書けない。少なくとも50年ぐらい経過しないと・・・という言葉を読んだことがある。時間的にも距離的にも、ある程度離れて、その人間の体臭が感じられない距離まで離れないと、評価は出来ないのかも知れない。また実際、関係者が消えるまで公開は出来ないだろうし。

 

公明党が与党になっているために、宗教には触れることが出来ないのかも知れないが、

・・・燻っているいろんな問題が表面化してきましたね。近頃は。

流れない水は腐るというけれど・・・。

 

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梅雨の戻りのような毎日です。凌ぎやすいが、さて、洗濯をどうするか。